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「羽の生えたことがある人間なんて、見たことないから私は天使を描かない」

 僕の好きな近代画家「クールベ」について少し語ってみたい。

ギュスターヴ・クールベ《絶望(自画像)》1843年頃


 クールベはフランスを代表する近代画家。緻密で豊なタッチ、その表現力は絶大。当時のアカデミア美術や権威は彼の画力を強く欲した。それほど彼の絵には影響力があった。しかし、彼は古典主義やロマン主義といった既成の画壇に反発し、自分の絵を権力に使うことを拒んだ。


ギュスターヴ・クールベ《オルナンの食休み》1849年

 新しい写実主義(リアリズム)絵画という潮流をつくり出し、民衆の実際の生活を描き、社会に関わるという近代絵画を創出した。当時フランスが揺れた市民革命の翌年「オルナンの食休み」を発表する。それは女神や聖書の登場人物でも有名肖像画でもなく、より日常生活に近い作品を描いた。そこにある絵は一般人の日常が主題であり、見慣れた風景であった。民主化による風が吹いていた時代、市民自身が「市民が主役」を実感した瞬間だった。彼の絵画は市民の心の風となった。きっと心が鷲づかみされた市民が多かったことは想像に難くない。あらゆる日常の力強さ、弱さといった対極の激しいコントラストを、遠い記憶のように訴え力のある画力で昇華している。その独特な感性は、天才的といっていい。誰もが手にしたいと思っていても手に入らない絶望。時代を越えて、彼の描いた絵画が残る理由だ。

ギュスターヴ・クールベ《オルナンの埋葬》1849-1850年
作品はサロンで酷評される「市民の絵にして豪華すぎる」と。

さらに戦いを挑んでいく

クールベ『画家のアトリエ』 1855

 当時絶大な権威あるパリ万博へ上記の作品を発表するも拒絶される。画家にとってそれは世間への作品発表の場を奪われたと等しい。作家にとって絶対的危機。それをクールベは逆手にとる。

「届かないメッセージは無い。発表する場所が無いなら、自ら個展を開けばいい」美術史上初の個展開催へ

自身の作品への自信、そして世間を味方にしているという根拠を心に秘めて、彼は個展をパリ万博に見せつけるように同時開催し対峙を鮮明にしていく。

「自分は生きた芸術をつくりたいのだ」リアリズム宣言へ

 ここでクールベは「リアリズム宣言」を行う。それは決意表明であり、宣戦布告であり、市民との共闘であった。彼は権威に媚びるのではなく、市民のための表現を誓うのだ。
 彼は作品を武器として、敵と味方と自分を皮肉を込めて描いた「画家のアトリエ」として世間に発表する。彼の絵画に誰も否定することができない。それは作品が圧倒的すぎるからだ。

ギュスターヴ・クールベ《女と鸚鵡》1866年

クールベが後世に影響を与えたことを箇条書きに

  • アカデミスム(権威)への対立姿勢

  • 世界初の個展を開催

  • アーティストによる宣言(リアリズム宣言)

  • アーティストによる政治介入

  • レジオン・ドヌール勲章(フランス最高勲章)を辞退

  • 写実(リアリズム)主義を貫く


ギュスターヴ・クールベ《エトルタの崖、嵐のあと》1870年

 クールベは才能を存分に発揮した。それは世界の風が吹く方向を見失わない「現代のセンス」を持ち合わせていた。それは労働者の味方であり、反骨精神の塊であった。彼の才能を輝かせる場所を、彼自身がよく理解していた。
 彼は印象派の代表格となった。しかし、彼は他の画家と群れることをしなかった。常に孤独を選んだ。それは「芸術は常に孤独に寄り添う」こと知っていたからだ。
 彼が残した作品は、現代においても色褪せることはない。彼は言った。

「現実の社会を描く限り、私は大丈夫だ」

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