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死後の行先 あなたはどれ? 天国? 地獄? 自殺者の森? 全23話 9

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「死後の行先が3つある」事の確認

前回の記事では、天国、地獄、自殺者の森、この、死後の行先の3つについて、ごくごく大雑把にお話をしました。少しだけ復習してみます。

ある人が80年生きました。死亡して、天国に行きました。天国で300年から400年、暮らしました。そして再び現生に誕生し、平均的に80年ほど生きる。死亡すると、また天国で300年から400年暮らす。これを繰り返すのだそうです。

これが、魂がどこにいるべきかのシステムのようです。こうして未来永劫、この動きを繰り返すことにより、徐々に魂は浄化されてゆくのだそうです。

魂の本来の居場所は、天国なのだそうです。魂は天国で、安楽に幸福に暮らせるのだそうです。でも天国に居られるのは300年から400年ほどで、天国で暮らした後は、現世に誕生し70年とか80年、現世で肉体を持って生きるのだそうです。

天国に比べると、現世は苦しい場所で、生きるのが辛い場所だそうです。魂の管理者である神様は、一定期間、天国で安楽に暮らした人を、生きるのが辛い現世に送り込むのだそうです。理由は、魂の鍛錬、苦しい場所で修業を積ませるために、現世に送り出すのだそうです。

ここまでの説明では、現世と天国については概要をお話ししました。でも、地獄と自殺者の森については、まだ説明していません。

この記事の中では、上記の3つの世界(天国、地獄、自殺者の森)を、一括りに「霊界」と呼ぶことにします。あくまで便宜上の事なので霊界の専門家先生からは「それは違う!」などと怒られるかもしれませんが、素人の書くフィクション交じりのお話なので、どうかご容赦のほどを・・・

そして霊界に対して、肉体を持って活動する世界、今我々がいる世界の事を、現世と呼ぶ事にします。

今日は、霊界と現世、これについて、徐々に詳しいお話をしようと思うのですが、どこからどのようにお話を始めるか、今、この瞬間も迷っています。どういうお話が正解なのかは私にも判りませんが、判りやすいお話にするために、まずは「自殺者の森」から、お話させてください。

三峯神社への道

☆ 自殺者の森

自殺した人が行くところだそうです。自殺した人は天国でも地獄でもない、この特別な場所に入れられるそうです。ここに入ると自分の足が木の根っこのようになって、地面から動くことができなくなりその期間は約3000年だそうです。木の根っこになった足で動くことができない人がたくさん並んでいて、その様子が森のようだから「自殺者の森」と呼ぶらしいです。

この状態は「責め苦」です。苦しいです。逃げ出したいですが足が根っこになってて逃げだせません。耐え難い苦しみが3000年ほど続くようです。何故、自殺すると、このような責め苦に遭うのでしょうか。それは、自殺が「許されない行為」だからだそうです。

ここで、多くの人は、少々混乱するかもです。何故なら、「悪いことをした人は地獄」「自殺した人は自殺者の森」・・・どちらも、責め苦に遭うという点では共通してます。「だったら、同じように許されない事をしたなら、どちらも同じ地獄に落とせばいいぢゃないかっ!」という声が聞こえて来そうです。

これは私の想像にすぎませんが、霊界の主である神様の感覚からすると、どうやら、「悪い事」と「自殺」とは、種類の違うことのようです。地獄に落ちる人は「現世で悪いことをして、現世を楽しんだ人」と言うことができるかもです。一方自殺者は「現世が苦しくて仕方なくて現世から逃げ出そうとした人」と言う事ができるかもです。

これは現世の我々からすると「許されないなら、どちらも同じぢゃないか」と言いたくなるかもですが、神様の感性からすると、同列に扱うべきではなく、行く場所も別々にして、種類の全く違う責め苦を味合わせるべき、と、考えているのかもしれません。

ともあれ、死亡して魂が肉体から離れる事は同じ。そして何らかの理由で、死後、責め苦に苛まれることも同じですが、行く場所は違い、責め苦の種類も、おおいに違うようです。

自殺をするのは悪いことなのか?許されない事なのか? というふうに素朴な疑問を抱く人がきっと多いのではないかと思えます。我々、現世に生きる人間の感覚からすると、別に他人に迷惑をかける量も質も軽微だから、責め苦を負わされなくてもいいぢゃないか、と言いたくなるのも判ります。

ですが、神様は次のように考えているようです。

ある人の寿命は神様が定めて、決まった期間がある。現世は生きるのが辛い修行の場である。人は現世に生まれ出たならば、この困難に立ち向かい、生きねばならない。これが修行となる。

ところが自殺というのは、神様が与えた修行が苦しくて耐えられないから、そこから逃げ出そうとし、神様が決めた寿命という修業期間を、自分で勝手に短縮して、安楽な天国に行こうとする行為である。

言い換えれば、修行、つまり牢獄に繋がれて苦しめられている囚人が、勝手に牢獄から脱出する、いわば、脱獄のような行為である。その人の寿命は、神様が決めた修行期間だから、人が勝手に短縮してはいけない。もしもそれを勝手に短縮したならば、つまり自殺したならば、罰を与える事になる。

という図式になるようです。

今日のお話は、ここまでにします。次回は今日の続きです。まだ「自殺者の森」についての概要をお話したにすぎません。多くの人々が関心を持ってくれるようになるのは、おそらくまだまだこれからです(笑)、お楽しみに(^^♪

高麗神社で赤い実がなっていた

今日の「ビブラフォンとジャズオーケストラのための協奏曲」再生回数


私の作品です。今までに私が書いた曲の中では、自己採点すれば、1位か、2位か、3位に入る曲だと思います。この曲に匹敵するような美しい曲をこれからも書きたいですが、ひょっとしたら書けないかも、とも思います。  3rdアルバムに収録する予定です。9分近くある曲で、尺も長いです。  YouTubeに、演奏動画を載せていますので、ご興味のある方はご視聴してみてくださいませ。

大編成のジャズ曲ですが、私の教え子である北朝鮮少女がベース、ぞっとするほど音楽的で素晴らしい演奏です。ビブラフォンの竹泉は現N響のメンバーです。先日、テレビのタモリ倶楽部で、カスタネット叩いてました(笑)。幸運にもその他の楽器も上手いメンバーが揃っており、美しい曲に聴こえているのは、そのせいかもです。

今日の再生回数は、前回のアップが58回、4月14日にアップした、イントロの切れていない完全版が124回再生されていて、合計182回です。多くの方々に聴いていただけて、大変嬉しいです(^_-)-☆

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