mochiami

私立の中高一貫校の国語教諭。大学中退後、乗馬クラブに選手兼インストラクターとして勤務し…

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私立の中高一貫校の国語教諭。大学中退後、乗馬クラブに選手兼インストラクターとして勤務した後、大学に再入学し教員免許を取得。3年間参考書に枕し入試問題で口漱ぐ生活を送る。現在は読解力を探究する傍ら、NLPコーチング理論を学校教育で活用できないか思案および実践中。

最近の記事

学校の成長戦略PJのメンバーになった。

 朝から校長先生に呼ばれて、隅に連れて行かれる。また何かしでかしたっけか(こう思うのもこれまでたくさんご指導いただいたからだ)と思いながら連れられて行くと、どうも学校のPJの若手の分科会を創りPJ本体の活性化を図りたい、という旨の打診があった。  他のメンバーの名前を聞くと、正直頭が痛くなった。良くも悪くも個性的なメンバーで(もちろん僕も問題児ではあるのだが)、このメンバーと一緒にやっていける自信がない。その中でいえば僕はもうベテランといった歳、と言えるほど、若くてパワーを

    • 「ことば」の呪縛

       「ことば」という存在は大変便利なものである。他者に自分の考えを伝えたり、何かを指し示したり。あるいは目の前に存在しえないものを想像したり。またある時は、形のないものに名前を付けたり。言語学者ソシュールの言った通り、「ことば」はある意味で「実物を制作」するものであると考えられる。そのおかげで人類はいろんなものを対象化することができて、科学を発展させてきた。中古の時代には「をかし」「うつくし」、平成には「ウザイ」など、それぞれの時代に新しいことばを生みだして、感情や心情の多様化

      • 「表現力」から「読解力」へ(あるいは他者理解に関する一考察)

         「現代の日本の子どもは読解力が低下している」  よく取り沙汰される「国語」における言説の一つである。OECDのPISAをエビデンスとして取り上げられて以降、この「読解力」低下言説は何らかの学力調査がなされるたび、学校教育批判として挙げられてきた。昨年も新聞の一面に大々的に取り上げられるなど、その過熱ぶりには目を見張るものがある。  実際、僕も国語の教員としてそのことは如実に肌で感じている。確かに自分が年を重ねるごとに子どもの語彙力は低下しているように思えるし、少し形を変

        • 「わからない」ことのメタ認知

           「わからないところがあったら質問に来てください」  学校や塾の先生がよく口にすることばだ。実際に私も何か月か前までは同じような台詞を何度も繰り返してきた。  「質問に来るときはわからないことを明確にしてから来てください」  これも同じく教員の常套句。多聞に漏れず私も何度も繰り返しことばにしてきた。  「わからないところがあるんだったら職員室に聞きに来ればよかったじゃないか」  テストの答案を返す際、きっと多くの教員が日本中で繰り返していることば。そしておそらく全員

        学校の成長戦略PJのメンバーになった。

          「共感」ということ

           現代は「多様性」の時代だ。  街中には(僕から見れば)個性的なファッションを身にまとった若者にあふれ、昔は目に映ることも珍しかった外国人が風景に溶け込んでいる。スカートをはいている男性も目にすることがあるし、逆に見とれてしまう程格好のいい女性を目にすることもある。コミュニケーションにおいてもまず批判はせず、共感を示すことを第一とすることが肝要であるようだ。  多様性を尊重し、自分に対しても他者に対しても優しい社会。その実現に向けて多くの人が一丸となって動いている。いい時代

          「共感」ということ

          「やりたいこと」のメタ認知

          同僚の先生がnoteをやっていると知り、「自分も何か表現したい」と勢い余って始めてみると、次の言葉が目にとまる。 「はじめての記事は自己紹介やこれからやりたいことを書くのがおすすめです。」 ほう、と思う。続けて手が止まる自分を感じる。さて、私の「やりたいこと」って何だろうか。 思い起こしてみれば、年少の頃より自分の「やりたいこと」をやってきたはずだ。少なくとも自分にそう言い聞かせてきたはずだ。生徒との面談でも枕詞のようにそう尋ねてきたはずだ。 でも今手が止まっている自

          「やりたいこと」のメタ認知