様々なコンテンツについて個人の感覚で切り込んでいきます。

LINE株式会社でインサイドセールス業務をしております桑原と申します。
ビジネスのこと、世の中で起きること、歴史、趣味、様々な物事に対して普段思うことや自身の考えを書いて行きたいと思います。

まず、なぜ私がnoteを始めたのか。
お話しするととても深い話になり、、、それだけで記事に出来てしまうのでとてもここでは書き尽くせないのですがあえて!
あえて一言で言うなら、上司にすすめられたからです。

。。。。。。深いですねー。。

とはいえ普遍的なビジネスに活用できる知識や考えを展開するという形だけではなく、
自身の経歴を踏まえて少し変わった切り口で様々な物事を捉えこれから書いて行くことで話すことだけでなく、
書くというスキルも鍛えたいというのが本音です。

なるべく皆さんが読んでみて面白かったと思って頂けるよう工夫して行きたいと思いますのでどうぞよろしくお願い致します。

とはいえ、まずは私自身がどういう経歴を持つ人間なのか。
そしてどのようにして普段必死に税金を納めているのかという部分を自己紹介させて頂きます。
完全に私個人の経歴の話なので興味ない方は他の記事から読んで頂けますと幸いです。笑

平成元年、栃木県に爆誕する

おいおいそんな所から書くつもりか桑原と思った方もいるかと思います。
私の幼少期からどう生きてきたかを、ここで書いても興味ある方がいないと思うので18歳まで成長させます。
時は高校3年生のタイミング。
当時、周りからよく言われていた言葉が私の人生を大きく変えます。

桑原って歌上手いね。

100人いたら100人がありがとう〜で終わる所だと思います。
ですが当時の私は違いました。
昔から煽てられるとすぐ木に登るタイプだったのです。
体力あるねと褒められればマラソン大会で3位入賞を果たし、
体育の器械体操の時間に先生に筋が良いと言われればバク転できるまで練習したり。
髪の直毛さを褒められれば縮毛矯正かけてみたり。
(これは本当に意味不明ですよね)

そんな私ですから歌を褒められる度に周りに言うわけです。
「そんな事ないでしょ〜。え、そんなに〜?
ということでバンドを組み両親を説得し大学の推薦を蹴って東京の音楽専門学校に進みます。
もともと中学生の頃から人と同じ道を歩みたくない。
自分がやりたい事だけをやって生きて行きたい。という考えがあり、
そうなれるきっかけを探していたんだと思います。
それが音楽でした。
そのため迷いなく進路を変更し、東京に向かったのでした。

※ちなみに栃木県をあまりよく知らない方のために、関東における栃木県の立ち位置を大変に雑な画像で示しましたのでご査収ください。

画像1

25歳までバイトとライブ活動を続ける生活

さて、どの程度の田舎で育ったのかなんとなく理解頂けたと思います。
いよいよ東京に舞台を移させてください。

20歳から25歳までの間、月3~4回のライブ。
それ以外はスタジオ練習、作曲、歌の練習、バイト。
どこかへ旅行に行った記憶もありません。
25歳までに音楽だけで飯が食えていなければ潔くやめよう。
上京する時にその考えだけは決めていました。
何箇所もボイストレーニングに通い、納得できるトレーナーへ辿り着くまでに100万は投資しました。
 そこでやっと師匠と呼べる人に出会い、今でも親交を続けています。
誇れた事があるとすれば18歳〜25歳の誕生日を迎えるまでの7年間。
歌の練習をサボった日は1日もありませんでした。
バイトから帰宅した深夜0時から練習や楽曲制作を始め、眠るのは4時頃になる生活が当たり前でした。
ですが結局25歳を迎え、偶然バンドも解散してしまった私は改めて、
夢に破れたことを実感し自分の人生を見つめ直したのです。

27歳で初めての営業職に

そこから約2年間派遣社員としてドコモショップ店員を経て、
前職となるHPの制作会社に正社員として就職します。
無形商材のアウトバウンド新規開拓営業です。
感想から述べるとまさにそこは戦場でした。
毎日300コールが義務化されたテレアポ、アポが取れたと思ったら営業に行きその場で200万円のHPを受注して来ないと行けないのです。
上司も即決が取れなければ電話口で怒鳴り散らす始末。。。。

また、アポが取れなければその日のオフィスはまさに修羅場です。
営業マンは予定を入れて営業に出てナンボ、でも肝心のアポが取れていなければ当然外には出られません。
怒り出す上司達、冷や汗をかきながら電話をかけまくる平社員達。。。
初めて就職した会社はまさに体育会系のドベンチャー企業だったのです。

初めの半年はアポも全く取れず、やっと取れたアポも営業で失注してしまう。その上で上司からの怒号でさらに追い込まれる。
同僚達が文字通りバタバタと飛んで行きました。
上も下もドンドン辞めるので1年も耐えた頃には中堅のポジションになっていて驚いたくらいです。
とはいえ、その厳しい環境下の中で残っている人達というのは確かに破茶滅茶な営業力を身に付けた人間だけでした。
電話口で開口一番「いらない」と言われた相手と30分話し込んでアポを取ることができる猛者ばかりになっていたのです。
当然残っている私も気付けばそのメンバーの1人になっていたのです。
頑張った甲斐もあり最終的には18人の正社員アポインターをまとめるSVとして東京大阪の全拠点を任されていました。
ここで身に付けたテレアポのコツやスキルについては、いつか別の記事で書きたいと思います。

そしてLINEへ転職

1年ほど前、幸いなことにLINEへ入社する事となりました。
入社1ヶ月目、オフィスも綺麗で上司も優しいしホワイトだなーと感動したことを覚えています。
業務内容としてはインサイドセールスとして主にSMB領域の企業向けにLINE公式アカウント、LINE広告のサービス提案をしています。
元々人前で話すことが好きなのでセミナーなども積極的に登壇させてもらいながら日々自分のITリテラシーの低さを痛感しつつ、楽しく仕事をしています。

昨今では企業のDX化、デジタル広告領域の拡大に伴い、
求められるのは常に精度の高いターゲティング能力です。
しかしここに来てサードパーティCookie制限などを始めとして、広告やWEBサイトの在り方自体が問われ始めています。
その中で独自に8400万人のユーザーを国内に持つLINEというプラットフォームは輝けるチャンスではないかと考えています。
LINEに身を置く一個人として今後のIT業界へ向けた考えなども多く書いて行きたいと思います。

最後に

長くなってしまいましたが最後に私自身が過去の経験から学んだ中から一つ、伝えたいことがあります。

よく言いますよね。
失敗の経験というのは人生における宝だと。
ですが、時として人生にトラウマを与えるのも失敗の経験なのです。
私は音楽という夢を20代で追いかけました。
結局、その夢は叶うことはありませんでした。
信じていた夢を叶えられなかった事。
諦めた自分がどこかで許せなかった。
その経験を足枷にして前に進めない自分がどこかにいたのです。
自分は失敗した人間なのだと、そう考えていたのです。

ですがここ最近、歌の師匠と酒を呑んでいてふと頂いた言葉があります。
その言葉が再び私を前向きにしてくれたのです。

毎日夢中で歌の練習してたけどそれを義務だと感じた訳でもなく、
やらなくてはいけないという感覚でやっていた訳でもなくて、
上手くなるのが嬉しくて楽しくて毎日やっていたわけじゃないか。
人はそれを才能と呼ぶんだよ。と。


どんな失敗も失敗ではなく、単なる出来事。
その出来事にどんな意味を付けるのかは自分次第なのだと改めて学んだ夜。
その瞬間、心に青空が広がったのでした。


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