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ケアマネになってみた!④オフホワイト企業がどんどんグレーに近くなっていく。

結婚と同時に退職をしようかと考えていると、
メンター(心の師匠)と仰いでいる、センター長から
「まこちゃんはケアマネの仕事向いてるから、辞めないほうがいいよ。
うちは全国展開してるから、転勤扱いしてもらえるように支店長に相談
してみるよ」と思いがけない打診をいただきました。

ほどなく支店長との面談。
「うちの支店から送り出すのはもったいないけど、会社にとって、
大事な人材だから、場所は変わってもがんばってね」と励ましてもらい、
転居先の支店長との顔合わせ日時も決めてくれたのです。

翌月、転居先の支店へご挨拶に。
「いつからでも受け入れるから大丈夫ですよ」とウェルカムな雰囲気で、
一安心。無理を言って、新生活が始まってから半月後の5月中旬の週から、
お世話になることになりました。

新生活が始まって、新しい職場になって。
嬉しさもあったけれど、緊張と不安が大きくて、
マリッジブルーもあったのか泣いている日も多かったです。

そして、迎えた出勤初日。緊張の幕開けです。
駅北口センターの人員構成は…
先輩ケアマネ (50代女性)
ヘルパー責任者(50代女性)
ヘルパー常勤A(40代女性)
ヘルパー常勤B(40代女性)
ヘルパー常勤C(30代女性)
事務員(50代女性)
そして、私(30代)という形でした。
ヘルパー常勤さんは他拠点への異動も多くあり、
数か月ごとくらいに顔ぶれが変わっていました。

ケアマネ業務は先輩から何件か担当を振り分けてもらいました。
引継ぎの同行もあったのですが、右も左も分からない地域で、
行先も告げられずに運転させられ、「行き方調べてないの?」とか、
交差点を曲がったあとに「違う。そっちじゃないのに…」と言われたりも
しました。(ナビがついていればいいのですが、無かったのです😢)

最初はポジティブに「道を覚えるための訓練だ」と思ってたのですが、
行き帰りでの小言だけでなくて、業務で気づいたことも口頭で言わずに、
電話メモを記録するノートに、丸々1ページ注意事項が書いてあったり、
私の動き方に対して「はぁ…」と明らかにため息をついていたり。

やることなすこと否定され続けると、人の心はダメージを追います。
私のモチベーションもやる気も見事に打ち砕かれました。さらに、
悪いことは重なるもので、主人も単身赴任になってしまいました。

慣れない土地での生活
仕事では先輩からのいじめ
義母がアポなし訪問するなどの過干渉
どれか1つだけでも相当なストレスなのに、
全て同時に起こり、通院こそしてませんでしたが、
精神面では極限状態でした。

朝仕事に行くのに泣き、仕事から帰宅してその日のことを思い出して泣き、
「消えたい」「●にたい」と何度も主人に泣いて電話をしていました。

それでも仕事をすぐに辞めなかったのは、
ここで辞めたら、いじめている先輩の思う壺だと分かっていたし、
何と言っても、頼りにしてくれていた利用者さんやそのご家族がいたから。
特に、末期がんのターミナルケアの方が最期を迎えるまでは、
何としてもサポートしていきたい。と耐えました。
(この方とのエピソードはまた別で書きたいと思います)

そこから数か月後。
心身ともに限界を感じ、いよいよ仕事を辞めようと決め、
支店長との面談で辞意を伝えました。
一番の理由である、先輩のことや職場の状況も聞いて頂きました。

すると、支店長から「○○さんと一緒でなければ働ける?例えば、他の拠点ならどう?駅南口でケアマネ補充したいんだけど異動するのどうかな?」というお話を頂きました。
思ってもみない話の方向にびっくり!少なくとも支店長は仕事ぶりを買ってくれていたのかな、と思うと救われました。
ただ、辞めると決めた心で面談に来ていたので、即決することは難しく、
いったん話を持ち帰り、家族とも話しあい、どうするかを考えました。

そして出した答えは‥‥。

長くなってきたので、次回に続きます。
ご覧いただきありがとうございました☆

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