見出し画像

”20代”について

今年29歳。20代ラストの年齢。このまま30代に突入するのが嫌すぎて、とりあえず20代を振り返るとともに、これからの生き方について考えていきたいと思う。長文になるから最初に自分の20代を簡単に紹介してから本文に入る。私みたいな人間もいるって知ってもらえるだけで嬉しい。

私は20歳の時は関東の大学生で、その後24歳になるまで、大学院生として関東にいた。その後新卒で入った会社を一週間で辞めて、地元に帰り、無職の期間を経て、今福祉の仕事をしている。

何も考えていなかった20代前半

20歳を1人こっそりと迎えた。サークルに所属していて、同じ学部に旅行に一緒に行ける友達もいる環境だったが、誕生日は誰からも祝えてもらえなかった。たしか夏休み入る前のテスト週間で、誰からも相手にされなかった覚えがある。私は1人テスト勉強をしながら、たぶん自分におめでとうと言ったんだと思う。

20代の最初の頃は何も考えずに生きていた。勉強、サークル、飲み会、バイト。せっかく関東の大学に進学したのに、自分の可能性を伸ばそうとせず、ただダラダラすごしていた。そのせいで就活に苦しむのはまた後の話。ダラダラすごしていた過去を振り返ると、今思えば、もっと遊べばよかったっていうのが私の後悔。

とにかく大学の学業の成績を優秀にすることだけが全てだった思う。彼女もできず、1人むなしく夜を毎日過ごしていた。特に遊ぶことも無く、サークルも人手不足に悩まされ、会長職を押し付けられ、何も楽しくないのに、辞めることはできなかった。なんでだろう。今思えば、あれほど無駄な時間はなかった。どうせ彼女できないのになんであんなにサークルに固執していたのだろう。どうせ友達もできないなら、サークルなんてやめて、もっと自分の経験値やスキルを高めることをすればよかった。

関東にいるのに、ディズニーランドすらまともに行かなかった。行くような彼女や友達もいなかった。本当はめちゃくちゃ行きたかったけど。サッカー観戦も夏の花火大会も行かなかった。プールも海も行かなかった。唯一海外旅行に友達といったのが、大学生らしい行動かつ楽しかった思い出である。それ以外は本当に後悔しかない大学生活だった。なぜなら後にとある理由で遊べなくなるからである。

頭がおかしくなる病気に悩まされた20代中盤

22歳の大学4年生ごろから、私は自分に異変を感じていた。なんか自分の周りが騒がしい。カフェに行ってもスーパーに行ってもどこに行っても自分を非難する声が聞こえるし、家に帰っても悪口が頭の中を支配していた。「うるさい!!」と耳を壁に打ち付けた記憶がある。なんかおかしかった。

そして頭も急激に悪くなった。大学院を推薦で進学できるほどの成績を残したはずなのに、勉強したことが何一つ覚えていない、頭に入らない、理解できない。常に頭の中が空っぽな感じがした。スカスカな感じがした。研究に集中できないだけならまだまし。何度わかりませんって言って先生方を飽きれされたか。たまたま小学生でもわかる原理を見つけたおかげで、私は研究を続けることができたが、自分の専攻の学問を何一つ理解できなくなってしまった。

そして就活が来て、私は惨敗した。当然だ。頭おかしい状態で、就活が上手くいくわけがない。さらに私は就活のために何1つも努力したネタがなかった。長所と言えることもなかった。だから惨敗した。もうダメだ。もう死のう。そう面接の帰りに思い、たまたま電車を待つ目の前にいた幸せそうなカップルをホームに押してしまおうという思考に至った。そこでふと冷静になり、自分の思考のヤバさに気づき、精神科を受診することになった。

統合失調症

精神科の医師は、はっきりと病名を教えてくれなかったが、処方された薬を調べれば、自分が何の病気なのかすぐにわかった。

統合失調症

始めはうつ病なのかと思ったけど、なんかもっとヤバそうな病気だなと思った。私は就活を中断し、研究室の教授にも説明した。でも同期や後輩にはバレたくなかったから、研究室には体を引きずりながら行った。そして研究するふりをして、こっそり、研究棟の屋上で寝てた。薬のおかげで幻聴は聞こえなくなったが、体がしんどくてだるくて無気力になってしまった。そのせいでこの時期はずっと寝てた。研究室の進捗報告会もバックレた。自分が情けなくて、死にたいってずっと思ってた。でもする勇気がなかった。

そんな私だが精神科に通い始めて3か月ぐらい経った、夏頃から就活も研究も頑張ることにした。私には頑張る理由があった。それは卒業旅行を行くことを同期の友達と決めてしまったからだ。私は断れなかった。本当はこのまま大学院中退も考えた。でも断る雰囲気ではなかった。だから私は頑張った。病気を抱えながら、修論を完成させ、就活もなんとか拾っていただき、そして卒業旅行に無事行くことができた。ただ私は旅行中至るところで寝ていた。美術館のソファ、移動中の電車内、みんなが楽しそうにしている飲み会、私は疲れているからと言って、ずっと寝ていた。

この卒業旅行は私にとってあまりいいものではなかった。頑張りすぎたことも理由だが、本当はこれから待ち受ける現実にショックを受けたことが一番に挙げられる。

私の同期の友達はみな優秀で、超大手の研究職の仕事に就いた。みな頭の回転も知識量も豊富で、みなとてもレベルの高い会話を旅行中にしていた。それに私はついてこれなかった。移動中にしたクイズ、私は一問もわからなかった。この先仕事で絶対にやっていけない。特に私の就く仕事は理系の知識が求められる専門商社だった。だからこの時に思った。もうダメだ。この卒業旅行を思い出に死のうと。

そして新卒の会社に入社して1週間後、世間では「令和」の元号に盛り上がっている最中、私は会社を無断欠勤し、そしてビルから飛び降りようとした。本当にもし、風が強ければ、私は飛び降りていた。でもできなかった。そして私は会社を辞め、地元に強制送還された。

闘病生活を経て就職、徐々に死にたいとは思わなくなった20代後半

地元に帰ったら真っ先に大きな精神病院に通うことになった。大学院を出て、エリート街道を進むはずだった人生は崩壊し、私は絶望に直面していた。病院に通っている間、自殺未遂を何回もした。そのたび親を悲しませた。

その後病院内の講習会で初めて就労移行支援というものがあることを知り、家の近くの就労移行支援事業所に通うことになった。そしてそこで訓練をしていた。1年半くらい。その間私は無職だった。体力やリズム作りにはよかったが、正直底辺だなって思った。こんなとこに通うくらいなら、さっさと就職してと思ったが、自分はまだ頭が悪いままだった。勉強しても頭に入らない。一般常識がわからない。そんな状態ではどこも就職できないだろうと思って、結局就労移行支援事業所を辞めなかった。

それでどうなったかというと、その就労移行支援事業所の職員として働くことになった。私は記憶力はないが、ググッてそれを実行するスキルだけは神様が残してくれた。そのため、パソコン関係の問題を解決することとか、プロのデザイナーの作品を調べて、いいとこどりをしてチラシやポスターを作る能力に長けていた。そのおかげでそれらの仕事を任せてもらえるようになった。

そして今働いてもう1年半が過ぎた。このころにはもう死にたいとは思わなくなった。自殺未遂もなくなった。毎日楽しいとまではいかないが、自分を必要としてくれる人がいるので、会社には休まず行っている。一緒に旅行した友達とは縁を切った。Facebookで結婚報告が流れてきた。幸せそうで何より。結婚式には行けなかったが許してくれ。

30歳になる前に

今の会社を辞めようと思う。ステップアップをしたくなった。自分の仕事に自信を持てるようになったし、今よりもいい条件で働きたいと思う心の余裕も出てきた。正直できるかどうかは不安だけど、生きてくためにはパートではいられない。恋人も欲しいし、もっと活躍したい。今の会社には感謝の気持ちは当然ある。恩もある。だがそろそろここを離れる時が来た。アジカンのソラニンみたいだ。

転職しようと思ったのは、今の仕事に対する自信が出てきたことも理由として挙げられるが、これからの未来のテクノロジーにも期待していることも大きい。最近chatGPTというAIのテクノロジーを知った。今後もっとテクノロジーは進化していく。そうしたら私の弱点も解決できるかもしれない。そう思うと、もっとそのテクノロジーを使って、活躍したいと考えることができるようになった。ポンコツな私でもテクノロジーを使えば、社会で戦える、そう思うことができるようになった。

最後に

ここまで3500文字。読んでくださり誠にありがとうございます。最後に私の20代をまとめたいと思う。20代は成長も成功もできなかった。ただただ自分の身に起きたマイナスな出来事を頑張って0までひとまず上げることに必死だった。同世代と比べると経験もスキルもないし、素敵な思い出も少ない。ただこの20代の出来事を、辛かったよねで終わらせることなく、30代の自分に還元できるように、その準備を残りの1年でしていきたいと思う。

私の好きなバンドELLEGARDENさんの「虹」という曲がある。私にとって大事な曲だ。

積み重ねた思い出とか音を立てて崩れたって
僕らはまた今日を記憶に変えていける

20代前半まで、勉強を必死に頑張って、自分はエリート街道を進むんだと思っていた。でもそれが全て崩れ去ってしまった。本当に絶望しかなかった。でもそれでも毎日はまたやってきて、もう一度積み重ねることができる。その形がどんなものであれ、私は私の人生を誇りに思っている。

もうnoteに「遺書を書いた」なんて投稿しない。そんなもの必要ない。私は今も病気と闘っているが、それでも私は私の人生を生きたいと思う。

長文失礼しました。
以上。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?