わたしの居場所さがし

関西から上京したのは、現在30をいくつも越えたわたしがまだ20代だった頃に遡る。

すでに関西にいた頃、かつて付き合っていた男性と同棲したり、姉が23歳の頃に購入したワンルームマンションをかなり安値で貸してもらい一人暮らしをしていた経験はあった。

しかし、自分の足で不動産屋に行って、これから住む新しい住居スペースを決めたのは、数年前上京した時が初めてだ。


自分で、自分ひとりのために初めて部屋を借りる。

それも、見知らぬ東京の街で・・・。

きっかけは、些細なことではなかった。

れっきとした理由があった。


逃げたい。あの忌まわしき場所から逃げたい。


当時のわたしは、半ばノイローゼ気味になっていた。

実際に上京する一年くらい前から仕事も休みがちになり、ほとんど関西ではひきこもり生活を送っていた。

仕事のストレス、東日本大震災で蘇ったかつて幼少期被災した頃のPTSD、そして・・・

隣人トラブル。

色んな悩みが重なり合ってパンクしそうになりながらもなんとか関西で生きていたが、最後に述べた隣人トラブルだけはどうしても見逃す事ができなかった。

当時40代半ばの独身男性が隣で暮らしていた。(以降「隣人A」と呼ぼう)

じっと布団をかぶっても昼夜問わず聞こえてくるその隣人Aの怒鳴り声。

隣人Aの怒りの主な矛先は、夜中に友人数人連れて少しざわざわさせながら帰宅した上の階の
男子大学生や夜中に洗濯機を回すまた別の部屋の住人であった。

・・・と、ここまでなら「それは夜中に騒いだり洗濯機を回すのが悪い」という意見も沢山あるだろう。わたしもそう思う。

しかし、隣人Aが怒る事に問題があるのではなかった。怒り方が尋常ではないのである。

異常

という二文字が即座に浮かび上がり、隣人Aがものすごい剣幕で他の住人に怒鳴り散らす声を、真夜中に聞かされる・・・。それも四六時中だ。

気が狂ったかのように発狂する隣人A。

怖くて怖くて自分の体を動かす音でさえも隣人Aに反応されて怒鳴られないかビクビクしてしまう。それくらいの威圧を薄い壁一枚の向こうから感じるのだ。

さらに隣人Aは、昼間に水道やガスのメーターの検針に来た女性にまでマンションの廊下中響き渡る大声で怒鳴り散らしていた。

「おい! 挨拶ぐらいしろや! 挨拶もできひんのか!」

そんなに怒鳴りちらす事でないだろう。挨拶だって自分からすればいいだろう。検針に来た女性も、もしかしたら隣人Aから溢れ出る狂気に満ちたオーラに怖気付いて挨拶ができなかったのかもしれない。

わたしも何度か隣人Aと廊下ですれ違いお互い挨拶は交わすが、常に隣人Aはギラギラした焦点の定まらない目で何かに怒っているように見えた。

また隣人Aは、廊下でご機嫌に鼻歌を歌いながら帰ってきた若い男性にまで怒鳴り散らしていた。わざわざ自分が住む部屋のドアを勢いよく開けてまで。まだ時間帯も夕方だし、鼻歌もそんなにうるさくはない。隣人Aの怒鳴り声の方が一億倍うるさい。
ご機嫌に鼻歌を歌っていた若い男性は天国から一瞬にして地獄に突き落とされた。

「すみません。ごめんなさい。すみません」

何度も何度も隣人Aに謝る声がマンションの廊下じゅう響き渡った。

「うるさいんだよ」

とそれでもしつこく怒鳴っていた隣人Aだったが、真摯に謝り続ける鼻歌の男性に最後は

「分かりゃーいいんだよ、分かりゃー」

と少し落ち着いた声でドアをバタンと閉めた。

腑に落ちない第三者のわたし。

わたしは隣人Aの隣人でいる事に疲れ果てていた。

ある寒い冬の夜。突然目が覚めて眠れなくなり就寝中は消す派のわたしがこの夜だけは寒さに耐えきれずエアコンをつけた。

すると次の瞬間・・・

「おい! 何時やと思ってるんや! いい加減にせーや!」

静まりかえったマンション内から溢れ出す隣人Aの怒鳴り声。

わたしは慌ててかじかむ手でエアコンを止めた。

・・・そうか。年に一度使うか使わないか分からないこんな寒い夜のエアコンですらだめか。

エアコンの室外機はベランダにあり、確かに隣人Aの部屋のベランダと隣り合わせだったが、真冬は窓を閉め切っていてそこまで室外機の音がわたし自身気にならなかったので大変驚いた。

わたしはここまで発狂されて怒られる事をしたのだろうか。

隣人Aに怒鳴られた恐怖心は次第に涙に変わりその夜枕を濡らした。

昼も夜も隣人Aの気が狂ったかのような怒鳴り声が突然聞こえる環境。

他の住人がいない時間帯でも隣人Aは電話で誰かに怒っていた。

その隣人Aの怒鳴り声こそがこのマンションで一番大迷惑な騒音である事を本人は知らない。

わたし自身、隣人Aに対してすでに我慢の限界に達していた頃のある夜に事件は起きた。

上の階の学生がまた夜中友人を連れて帰ってきた。

そんなに騒いでいる様子はなかったが、隣人Aはわずかな学生達の声すら聞き逃さなかった。

「おい、夜中やぞ。ええ加減にせーや!」

・・・いつもの光景である。ここまでは。

しかし、次の瞬間隣人Aがとった行動はそれまでとは違っていた。

行動がエスカレートしていたのである。

隣人Aは、わざわざ上の階の男子大学生の部屋まで行き真夜中にドアを叩きまくった。怒りにまかせたようなけたたましい音をたてて。そして「おい出てこい!」と怒鳴り散らす。

このドアを連打する音と怒鳴り声は永遠に続きそうな恐怖を感じた。執拗にずっと繰り返していたのである。車やバイクが走る音すら聞こえない静まりかえった夜だからこそ、上の階で今起きている恐ろしい出来事がマンション中に響き渡っていた。


地獄のようだった。

やっと静まりかえってもとの平穏な夜に戻った、と思ったのも束の間、また隣人Aの怒鳴り声で朝目が覚める。

昨夜の出来事は隣人Aの中では終わっておらず朝方また上の階の男子大学生に怒鳴りに行ったのである。

もちろん男子大学生の部屋からは応答なし。

静かにしているのだし、もう放っておいてやれよ・・・。

それでも気が狂ったかのように上の階のドアをノックし
「出てこいや! いい加減にせーや!」

と怒鳴り続ける。

夜も朝も眠る事を許されない。

ひきこもり女のわたしとひきこもり男の隣人A。

わたし達は似たような生活をしていたからこそ、隣人Aの存在は常に生活の中心にあり避けられずにいた。

外にも行きたくないのに家にもいたくない。

わたしの居場所はどこにあるのか。

泣きながらなんとか外に出てマンションの管理会社に電話した事もあった。しかし、話は聞いてくれるものの、何の解決にもならなかった。

窮地に追い込まれたわたしが次に救いを求めたのは、近所の交番だった。

交番で昨夜起きた出来事を筆頭に隣人Aが昼夜問わず怒鳴り声をあげて迷惑している事など不満を全て話した。

警察官から返ってきた言葉は・・・・・

「男子大学生からもクレームが今朝ありました。またあの男か、という感じで我々も手を焼いているんですよ。度々、他の住人からもクレームを受けています」

・・・やっぱりな。率直にそう思った。
と同時に警察に救いを求めるくらい自分と同じように他の住人達も隣人Aの存在を苦痛に思っている事を知り、心強い気持ちになった。

「一体あの人(隣人A)は何をしている人なんですか?」

この時まで彼が無職だという事はなんとなく予想していただけで素性が分からず警察官に聞いた。すると

「あの人(隣人A)はしばらく精神の疾患で病院に入院していたので今は働いていないですよ。だからずっと家にいるでしょう」

と答えがかえってきた。

精神の疾患・・・なるほど、と思わず納得する。あの怒り方は尋常じゃなかったから。

とはいえ精神の疾患、と聞くと隣人Aの事を責められない気がする。では、このやり場のない苦しみはどうしたらいいのか。

「・・・ベランダの窓と部屋のドアの鍵はきっちり常に閉めてくださいね」

肩を落として交番を出ようとするわたしに警察官が言った言葉だった。

意味深だ。

「昔何かあったんですか?」

わたしの問いかけに警察官は眉をひそめて

「それは守秘義務があって言えないんだけど、とにかく常に鍵を閉める事。そして隣人Aがもし訪ねてきても絶対にドアを開けない事」

と言うだけだった。

なんて奇妙な事を言うのか。

この時は春だったが夏場は、エアコンを節約するためベランダの窓を常に開けていたりする。

途端にさらなる恐怖心がわたしを襲った。

昔大きな犯罪を起こした隣人Aが警察に捕まえる→刑期を終え出所→精神疾患で現在も治療中。

こんな妄想が頭の中に広がった。

隣人は元犯罪者ではないのか。

いつかわたしは隣人Aに危害を加えられるのではないだろうか。

やっとでさえ病んでいたのに頭の中がパニックになりぐちゃぐちゃになった。

隣人Aが引越してくるまでは、何のトラブルもなく穏やかに暮らしていた。

しかしようやくわたしは姉から借りていたマンションの部屋を引っ越す決意をしたのだ。

自分の身の危険を感じて。

隣人Aに対しての恐怖心から自分の精神状態がぼろぼろになっていた。

その頃に本屋で偶然出会い愛読していた漫画があった。漫画は苦しい現実をひと時でも忘れさせてくれる癒しであった。

ストーリーはイラストレーター志望の主人公が上京して一人暮らしをする実録エッセイ漫画である。『浮草デイズ』(たかぎなおこ著)というタイトルのこの一冊に出会いわたしの運命が大きく変わる。


上京しよう。


著書の中のたかぎなおこ先生が、上京してバイトしながらイラストレーターを目指す姿に胸を打たれたのだ。わたし自身も昔から文章や詩を書く事が好きで、それをいつか仕事にしたいと夢をみていた。

漫画の中の主人公に自分を投影する事で明るい日差しがさしたように前向きになれた。

また、当時気になる人が関東に住んでいたのも上京を決める後押しになった。

行動にうつすのに時間はかからず、すぐに東京へ行き、ホテルに宿泊しながら新しい住居を探した。

不動産屋に行く事自体この時が人生初めてである。

わたしの場合、結果として不動産屋は二件しか回らなかったが人によってはもっと回る人もいるだろう。

わたしが新しい住居に求める条件は以下のようなものだった。

・二階以上

・駅から徒歩十分以内

・治安が良い場所

・家賃七万円以下(共益費込)

・キッチン、トイレ、風呂が部屋にある

以前、関西で昔の恋人と同棲していた頃住んでいたアパートは最寄りの駅から徒歩25分ほどという大変不便な場所にあった。彼に勝手に同棲するアパートを決められてしまっていたのである。

こういった経験もふまえて出した自分なりの条件だったが、二件目の不動産屋ですぐに理想な部屋に出会う事ができたのはかなりの幸運だったかもしれない。

その部屋の内見をしてなんとその場で即決。

「この部屋にします」

運命を感じたのだ。


一件目の不動産屋ではいくつか部屋を見せてもらってもしっくり来なかったのに、二件目の不動産屋では内見一部屋目ですんなりと決めてしまう。
部屋探しって不思議だ。
部屋との出会いもフィーリングや相性が必要らしい。まるで恋人探しみたいだ。

新しい部屋は関西で住んでいた頃より少しせまいが、窓が二つついてあって風通しがいい。
陽の当たりも良く明るい洋室のワンルームである。フローリングに白い壁もシンプルでおしゃれだ。

関西で姉に借りていた部屋には約四年近く住んでいた。隣人Aが越してくるまでは居心地がよく過ごせていたので楽しい思い出もあった。

その住み慣れた部屋を離れ、わたしは上京した。

関西にいる友人や姉と離れる事はすごくさみしかったが、それ以上に期待と開放感の方が大きくふくらんでいた。

わたしはようやく逃げる事ができたのだ。ろくに眠る事すらできず、ただただびくびくと怯えるしかなかったあの部屋から。

新しい部屋の窓は、関西で住んでいた部屋や普通の窓の大きさと違うためカーテンをオーダーメイドで新しく作ってもらう必要があった。そのためカーテンが仕上がるまでは窓は裸のままである。

引越ししたばかりのがらんとしたカーテンのない部屋の中、わたしがとった行動は・・・

しばらく部屋の中で日傘をさして生活をする事であった。

今この時の画像を見返しても蘇るのは、寝る時のかたい床の感触。

しかし、ふふふっと微笑ましい思い出である。

布団もないカーテンもない新しい部屋だったが、天国のようだ。

ここはあの男の怒鳴り声も聞こえない。

ビクビク怯えないでいる普通の事が、こんなに幸せな事なのかと実感できた場所。

わたしはこの部屋に出会えて救われたのである。

自分の居場所を手に入れたのだ。

決して広くないワンルームだが、わたしひとり住むにはじゅうぶんだった。
オーダーメイドのカーテンが届く頃、部屋にはベッドや机などの家具も揃いようやく人が住む部屋らしくなった。

引越ししたばかりの頃何もなかった無機質な部屋は生活するにつれてどんどん物が増えていった。

生きている証拠である。

ワンルームのいいところは、夏の暑い日も冬の寒い日も風呂からあがったら一歩、エアコンが効いた部屋で快適である事だ。

そして周りもひとり暮らしの環境なので静かなのもいい。(賑やかなのも嫌いじゃないが)

関西にいた頃は、部屋にいるのも外に行くのも苦痛で精神状態が崩壊していたが、上京して新しい部屋に住んでから忘れていた事を再び思い出すことができた。

自分の部屋にいる安息、だ。


何にも誰にも邪魔されない空間。

楽園である。

かといって上京してから楽しい事ばかりではなく辛い事もたくさんあった。

それでも、そんな時一番心が休まる場所だったのは人生で初めて借りたあの知らない東京の街のワンルームであった。

居心地がよくて、幸せと安心をわたしにくれた。

こんな言葉を並べるとやっぱり部屋探しは恋人探しに似ているなぁと思う。

#エッセイ #日記 #実話 #上京 #写真 #ワンルームマンション #はじめて借りたあの部屋









この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?