てんかんとの付き合いが始まって〜おと先生との出会い
息子が初めてのけいれんを起こしたのがこの4月。
こわかったなあー、と思う。
意識も呼吸もなくなった、私がこれまで見たことのなかった息子の姿。
我が子のあんな姿を見るのは、親の中でもごく一握りなんだろうなと思う。
あれから。
息子はこれまで何度も発作を起こしている。
1回目の発作のときは「けいれん」、2回目からは「てんかん」と名前が変わり、毎日の服薬がスタートした。
少し大きくなってからは薬とは無縁だった息子は、処方された歯磨き粉みたいな味の薬をすごく嫌がり、それを飲ませることがまず第一歩のハードルだった。
「お薬飲めたよゼリー」に包んでみたり、アイスに混ぜたり。
しばらくはそれでなんとかなったが、息子はいよいよ本当に薬を飲まなくなった。人からアドバイスを受けて薬を夕飯の揚げ物に混ぜたりもした。
そんな努力も虚しく、とうとう息子は全く薬を受け付けなくなった。
その頃何度目かの発作が出て、医師の診察を受けた時、こう言われた。
私が、息子が薬を飲まなくなって困っていると話した後なのに。
てんかんを診てもらっていても、その医師に発達障害への知識があるとは限らない。
てんかんを起こすようになってから、息子が少しずつ何かこれまでと違っていることは明らかだった。
でもそれはうまく説明できない何かで、それを発達障害に詳しくない先生に相談しても、どうしようもない気がした。
救急搬送の度にお世話になった地域の親切な先生だったけれど、それでも。
私は思い切って病院を変えた。
新しい病院の先生は通称「おと先生」。
24時間体制で訪問診療をも行いながら重症心身障害児に至るまで広く子どもたちを見守るお医者さん。
そしてさらに、2歳の頃から長く息子の主治医でいてくださった女医さんのご主人でもある方。
そんなわけで初めて会った時から私はとても親しみが湧いた。
おと先生に診てもらうには、やはり少し車を長く走らせないといけないものの、私にもう迷いはなかった。
初めての診察の時、私はいろんなことを相談した。
急に利き手を動かさなくなったこと。
動作が緩慢になったこと。
そしてもちろん、薬を飲めなくなっていることも。
おと先生は2時間近く私たちに付き合って、今の状態について懇切丁寧に説明してくださった。
先生のお伝えくださったことはどれもとても的を得ていて驚いた。
表情が乏しくなり、何をするのも消極的で、自分の息子でありながら、違う子を育てているような気持ち。
うまく説明できない、息子に生じている異変の数々。
先生はそこも見抜いていた。
急に擦り傷が増えたり、利き手を使わなくなったことについても、私たちにとてもわかりやすく説明してくださった。
おと先生の物言いははっきりしていて、全然オブラートになんか包まれていなくて(笑)、そしてだからこそあたたかい。
そして先生は薬を変更してくださった。
息子はそれから、新しく処方されたラムネみたいで水なしでも飲めるそのお薬を喜んで飲んでくれるようになった。
息子は少しずつ笑顔が戻り、以前のように笑い声をあげるようになった。
今、私は安心して子どもの命を預けられる医師に診てもらえているな、と思う。
てんかんはこわいけれど(毎朝息子の無事を祈るくらいこわいけれど)、それでも、おと先生に救われている。
先生は、どんな時は救急車を呼ぶべきかをきちんと説明してくれた。
だから私はここ数回の発作では救急車を呼んでいない。
そのおかげで、救急車で運ばれた後の不必要な点滴や、バイタルチェックや、発作直後で動けない身体の息子に無理やり行われるコロナの抗原検査なんかも受けさせないで済んでいる。
子どものことを本当に思っているからこそ、そして障害のこと、医療のこと、深くて広い知識があるからこその数々のアドバイスに、私はとても勇気づけられている。
先生がそう伝えてくれたから、私は学校の先生にも積極的に活動に参加させてほしいとお願いできている。
こういう人を、本当の専門職って呼ぶんだろうな。
笑顔が増え、食欲が戻ってきた息子。
まだ利き手の左手はほとんど使わないけれど、代わりに右手をとても上手に使うようになってきた。
両ききになる日も近そうだ。
来年は息子のことも家族みんなのことも、そして自分のケアも大切にしたい。
大丈夫。
来年はきっと私たちの「復活の年」になる。
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今年9月に始めたnote。
最初はおっかなびっくり、でも少しずつ私のnoteを読んでくださる方が増えて、私自身もたくさんのnoterさんから刺激をいただいて。
すごーく楽しかったです!
みなさん、よいお年をお迎えください。
あたたかいつながりに、深く感謝🙏
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