宗教に戸惑った私と、母の道しるべ(後編)
前回から引き続きご覧いただいている皆さま、ありがとうございます。
今回もどうぞお付き合いください🙂
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まりおばちゃん達が帰った後、私は混乱の数時間を過ごした。
そしてその後、「今回のことは、もう忘れよう」
そう決めた。
ご先祖さまの供養が息子の成長に影響するなんて、考えるだけで体力を消耗した。
これだけカオスの中にいる自分にどうしてそんな面倒がまた降りかかるのかと、なかば怒りさえ覚えた。
でも。
そう決めながらも、私は無意識に何度もそのことを考えてしまっていた。
あの日訪れた3人の強い言葉に揺さぶられ続けていた。
「あんなに確信持って言ってたよね...少なくともあの人たちやその家族にはお経さんあげて、何らかの変化があったってことなんだよね、きっと」
モヤモヤは結局解消されず、結局私は母に一通りの顛末を伝えることにした。自分の中だけでくすぶらせているのは、どうにも重たくなってきていた。
正直、母にそんなことを伝えるのは申し訳ない感じで気が重かった。
ご先祖さまが未練を残して...とか、そのせいでコウちゃんが...とか、母が聞いたら母までひょっとしたら思い悩むかもしれないと思った。
しかし、私の話を聞いた母の様子を見て、そんなのは全く無駄な心配だったことを思い知らされた。
息子にご飯を食べさせることに集中していた母は、私の話をなんでもないことのようにふんふんと聞いていた。
よっぽどコウちゃんの口からおみそ汁がしたたり落ちた、とか、炊き立てご飯の熱さでコウちゃんがやけどしないか、とかの方が気になる様子だった。
「ねぇ、ちょっと、聞いてる?」
そう言った私に、母はようやく食べさせる手を止めてこちらを向いた。
そして、笑いながらこう言った。
「あるわけないねぇ、そんなこと。
ご先祖さまが自分の孫やひ孫に、そんな可愛い子たちにそんなことするなんて、あるわけない」
母の趣味は「孫たちにご飯を食べさせること」
母の特技は「孫たちにご飯を食べさせること」
母の楽しみは「孫たちにご飯を食べさせること」
母にとっての拠りどころの時間に、そんなことは全然どうでもいいことのようだった。
難しいことはあんまり考えず、それなのに不思議と細やかな気遣いができて、たくさんの人から愛されている母。
この人が、あの世に行った後で恨んで子孫に「私の想いに気づいてほしい」とか思うだろうか、どうだろうか。
私は息子に熱心にご飯を食べさせる母を見ながらちょっと想像してみた。
しかし、全くもって想像できなかった。
それどころか、笑いが込み上げてきた。
「...あるわけない...だよねぇ」
私はしみじみそう返事をした。
母は宗教には無関心だったけれど、お仏壇には毎日手を合わせるし、真っ赤な夕陽を見ると突然手を合わせて「今日も1日ありがとうございました」なんてしみじみ言ったりする。ある意味とてもスピリチュアルで、この世の全てに感謝しているようなところがある母。
そんな母の娘である私もまた、そういうところがある。
なぜかいつも何かに守られているようにも感じる。
そして母を見ていたら、自分のご先祖さまの中にそんな想いを持つ人は、たったの1人もいないように思えた。
辛いことがあったら、「がんばれよ」
いいことがあったら、「よかったねぇ!」
そう思ってくれるご先祖さまばかりがいてくれるように思えた。
それで私は今度こそ、今回のことを本当にもう「忘れよう」と決めることができた。
まりおばちゃんからは、私がそう決めてからも、しかし何度か電話があった。
例えば集まりがあるから来ないかとか、もう一度家にお邪魔していいかと言った内容で、私はその度にやんわりと断った。
本当はやんわりとではなく、もっとはっきり言えたらよかったのかも知れない。でもなんとなく、そう出来なかった。
多分、まりおばちゃんとの過去の思い出が尊くて、それを台無しにするのが嫌だったのだ。
でも、その日は違った。
「マコちゃん、あのね、今病院にいるの私。
それでね、前から話してる供養のことなんだけど...」
電話がかかってくるタイミングは少しずつ間隔が長くなり、そろそろもう電話はかかってこないのではないかと思っていた矢先だった。
私は「またかかってくるんだな」と思いつつも、いつもよりずっと強い気持ちだった。
まりおばちゃんは「病院にいる」と言った。
何の用事かは知らない。
でも私だってその日息子を病院に連れて行っていて、ちょうど家に帰ってきたところだったのだ。
寒い季節に息子が風邪を引いて、レントゲンでちょっと白くなっている肺の影を指摘されて「肺炎になりかけているから気をつけて」と言われて、高い熱の息子と一緒にぐったり帰ってきたところだったのだ。
こっちはこっちで必死に毎日を生きている。
もういい加減そういうのやめてほしい、そう思った。
「まりおばちゃん、供養って、私は自分の心の中でするものだと思ってて。
だからご先祖さまの事は、私が私なりのやり方で、これからもちゃんと敬っていこうと思ってる。だから、集まりとかは行くつもりないです」
やっとはっきり言えた。
まりおばちゃんとその後どんな風に電話を切ったか覚えていない。
でも
「ああこれでもう、まりおばちゃんとのお付き合いはなくなってしまうな...」と少しさみしい気持ちがした。
それから半年くらい経った頃だったと思う。
冬が終わり、夏になっていた。
母から電話があった。
聞けば、母はまりおばちゃんの父に偶然会ったのだという。
「おじさんに聞いたんだけど、まり(おば)ちゃんのだんなさん、亡くなったんだって。癌だったんだって」
私はすごく驚いた。
そしていろんなことが、ようやく繋がった。
「まりちゃんもね、辛かったんだろうね。おじさんの話では、家に小さな観音様みたいなのを置いてお参りしてたんだって。最初はおじさんにも言えなくて、ずっと押し入れに隠してお参りしてたらしいよ」
私はとても辛くなった。
まりおばちゃんはどんな思いで、あの寒い日に私に電話をしてきたんだろう...。
病院にいたのは、まりおばちゃんのだんなさんが入院していたからだったのだろうか。
その宗教は誰かが新しく入ると、勧めた人の「徳」となってそれが供養につながるというものらしかった。
まりおばちゃんはそのために、必死であの日私に電話をしてきたのだと悟った。
私はその話を聞いた日の夕方、オレンジ色の大きな沈む太陽に向かって母のように手を合わせてみた。
そうすることしか、出来なかった。
まりおばちゃんはその時宗教に絶望したのだろうか。
それとも逆に、宗教に救われたのだろうか。
せめてその宗教が、その時のまりおばちゃんが前向きに生きていく力になっていたのならいいなと思う。
私にとって「障害」や「病」を「よくないもの」と決めつけるその宗教は抵抗があって受け入れられないものだったけれど、人それぞれ、その人にとっての「真理」がきっとあるだろうから。
それから、まりおばちゃんとはずっと会うことはなかった。
偶然会ったのは、3年ほど前だ。
スーパーで見かけたまりおばちゃんに、私は思い切って声をかけた。
まりおばちゃんはびっくりしていたものの、すぐに私に気がついてくれた。
「たっくんがね、近くに家を建てて住んでくれるようになって。
孫がたくさんになって忙しいけど、賑やかで、いいよ」
宗教のことは、お互いひと言も触れなかった。
小さな頃のたっくんの顔が懐かしく浮かんだ。
そしてその時まりおばちゃんは、私の知っている優しい柔らかい顔をしていた。
あれから。
私にとっての「真理」は、あの日の母の言葉のままだ。
あの時の母の年齢まであと15年。
その頃、母のようにどしんと構えた生き方ができているといいな、と思う。
実家の金木犀、いい匂いの秋がぎゅーっと詰まっています。
そろそろ冬の入り口ですね。
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2編に渡る長文にお付き合いいただいた皆さまに深く感謝。
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