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マーケティングのプロが、コーチングの資格試験をきっかけに競争社会や成長志向から掛けられた"人間性への呪い"に向き合って感じたこと

今月、副業として活動していたコーチングの資格試験を受け、何とか合格することが出来ました

このnoteでは試験を受けることを決めてから試験当日、そして今に至るまでを書こうと思います。  ※結構重めな話ですが、あえていつものべらんめえでパンクな若者調でいかせていただきます。

ビジネス、キャリア、成長、そしてコーチング。自分が大事にしてきたカタマリたちに押しつぶされて精神的ミンチ直前だったこの1か月半のお話。

現在進行形かつ、立派でもなければかっこよくもない話にはなりますが、自分の今回の経験を通じて、コーチングを知ってる・知らないにかかわらず、ウンウンうなりながら何か大事なものに打ち込んだことがある方が、何かを感じるきっかけになればと思いました。

ドキドキと怖さ、それぞれを半々くらいの心持ちですがご覧ください。

私については、こちらのnoteをぜひに。


置きに行くなよ

試験を受けると決めた自分は当初、余裕しゃくしゃくでした。なんだかんだ1年間有償で20人近くにコーチングしてきたんだ。それにクライアントも良いと思ったから依頼してくれてるはず。

"そんな特別の対策いらんでしょ。これまでやってきたことを復習する。それを練習でなじませる。それで終わり!"

言っちゃあれですが、仕事のタスク処理のような思考をどこかで持ってました。

それが、受ける予定の試験の有資格者やコーチング仲間25人程に練習コーチングをお願いしてわずか3人目。こんなパワーワードに頭をもみくちゃにされることに。

「置きに行ってんの?うまく、きれいにまとめようとするなよ」

もちろんそんなことは実際は言われてないです(仲間の名誉のため一応)。言われてはないのにそう受け取ってしまってる自分がなぜかいる。

そして一度そう受け取ると、なぜだが皆が同じように、いつもの数倍は辛辣で心をえぐるような言葉を投げ掛けてくるように感じてしまいました。

そんなお手本をなぞったみたいな、ビビったようなコーチングしてんじゃねーよ。もっと自分ってやつを出してみなよ、と。

自分らしく、自由に、とらわれずに生きることを軸に生きているはずの自分には、こいつは苦言以外の何物でもない訳です。悔しさが顔から馬鹿正直に滲みました。

俺がうまくやろうとしてる?受かろうとして自分を殺してるって?それをやる位ならもっと小利口に生きられてるわ。上等だぜ。俺らしさって奴を見せつけてやる。

そんな感情に燃えた自分が考えたのは”自分らしいコーチング"について。

自分のコーチングの良いところとしてクライアントからフィードバックされることが多いのは、"私自身が直感的に感じたことの投げかけ"でした。

コーチングではコーチの主観は登場率低めです。ですのでコーチの主観が強めに出る上記のコミュニ―ケーションが使われるシーンは限定的。

しかし、その分登場すると影響力大なので、”適切に”使われればすさまじくパワフルです。

例えばですが、コーチングのテーマが、"ダイエットしたいのになかなか痩せられない。どうすればいいか” だった時に、クライアントの表情や雰囲気から”私個人の感覚ですが、〇〇さんはそもそもそこまで痩せたいと思ってないように感じました。どれくらい痩せたいと思ってますか?"というようなメッセージを投げかけるコミュニケーションになります。

私は、相手のエネルギーの量と質を感じることが得意だという自負がありました。そして、出版社出身であることもあり、気持ちや感情を言語化することにも自信があった。

そんな自分の強みを強調すれば、自分らしさも加わってコーチングの質は良くなるに違いない。そんな心持ちで次の練習コーチングに臨みました。


心の大事なところ、出してもらっといてさ

自分らしさを出すと決めてからの5回のセッション。その間に味わったのは早朝まで眠れなくなるような心の激痛でした。

自分らしさを強めた途端、フィードバックがこんな言葉に埋め尽くされだしたのです(と自分は受け取ってしまっていました)。

「自分が感じたいものを感じて、自分が言いたいように言ってるだけだな。お前のコーチング」

”自分はビジネスや色んな挑戦をする中で苦しんできた分、クライアントに寄り添えると思っていた。それは自分の武器であると同時に誇りだった"

”でもそれは、自分が理解しやすい苦しみをクライアントから無理やり引っ張り出して、寄り添っていい気分になってただけだったんだろうか”

”自分は、大事な問題に向き合って苦しんでいるクライアントに自分の言いたいことをドヤ顔で展開していい気分になってるくそ野郎なんじゃないか”

”クライアントは、生きるために大切だけど苦しい問題と向き合おうと勇気を出して、しかも一緒に向き合う相手に自分を選んでくれた"

"それなのに俺はそんな相手の大事なものを目の前に、ずっと自分のことだけ見てたのか。コーチ以前に、人間として未熟極まりない”

そんな言葉達に押し潰された時、悲しいけど笑ってしまいました。

自分は、行き過ぎた資本主義や競争社会、成長絶対主義、スペック偏重、勝ち組・負け組、etc、、、そんなものが嫌になって、そんなものたちに仲間や自分の心や生き方が傷つけられるのが嫌になってコーチングの世界に入りました。

それからずっと、大事なのは人の心だろって叫び続けながら、そんなものより目の前のビジネスの成果だけ考えろと笑われながら、人の心の大切さを証明したいと頑張ってきたつもりでした。

でも、そんな自分自身が人の心を扱う力も真心も持ってなかったんですから。

”資本主義の世界では黙ってルールに従えない。心の世界も理解できない”

”俺は何だったら出来るんだ?”

"俺は一体どこでなら生きられるんだろう?”

そこからの練習コーチングはひどいの一言です。

コーチとしての、そして人間としての自分への信頼が文字通り木っ端微塵になったことで、うまくやろう、ちゃんとやらなきゃ、なんとか形にしなきゃ、ということしか考えられなくなり、相手の心に全く向き合えなくなってました。

「"俺の思うオーソドックス"をやろう臭がした」

「うまく出来ようが出来まいが、クライアントと向き合うんだ、って胆力が足りない感じ」

「今日のコーチングの問いかけ、なんかセリフみたいだった」

そんな言葉達(これはほぼ原文ママ。率直なFBをくれる人即ち我友と呼ぶなり)を練習セッションでもらい出したところから、自分はフィードバックをもらう時に物理的に震えるようになりました。


人間性に掛けられた呪い

そんなフィードバック群の中に一つ、こんな言葉がありました。

「安芸さんはうまくいかない課題の原因を全部、自分の人間性だって考えちゃんうんだね」

確かに、そうだ。

思えば自分は、めちゃくちゃ具体的なアドバイスを受けても全て、その根っこには自分の人間性というめっちゃ抽象的なものに問題があると受け取っていたのです。

”もっといつもの安芸さん出した方が良さが出るよ”というアドバイスを、思い切って自分を出せない自分の勇気や覚悟の無さへの指摘として。

"頭で考えず、クライアントの感情をもっと感じよう"というアドバイスを、相手と向き合わずにうまくやろうとするコーチとしての志や胆力の無さ、人格の問題として。

きっと周りからしたら、なぜこいつはこんなに落ち込んでいるのか、意味不明だったでしょう。というか、思い起こせばフィードバックの度ほぼ毎回言われてました「えっ、落ち込み過ぎじゃない?」と。

それを自覚した時、心の底で自分に気付かれるのを待っていたある呪いに気付いたのです。

自分は何度か上司からのパワハラでうつ状態になったことがありました。文字通り、全体重を預けるように仕事をしていた自分の、仕事での全ての努力と意思を否定された時間。自分の人生が暗黒に塗り潰されていた時間です。

本っ当に不思議なのは、パワハラをする上司程、自分がパワハラをしているとは夢にも思っておらず、自分のパワハラを厳しくも正しい指導だと思っていること。その上司の内の一人なんて”人材育成は自分のライフワークだ”なんて言ってました。

何かを思い込んだ人間が恐ろしいってのは古今東西決まってます。指導という正しい行為として、行動ではなく”人格”を批判出来てしまう。

何か取るべきアクションが抜けていたとしたら、”これが起きたのは、お前の当事者意識の無さと他責志向が根本要因なんだ"と、

提案の質が十分でなければ、”これはつまり、お前の人間としての視野の狭さ、視座の低さが招いた結果なんだ”

転職や異動直後で、社内伝達のルールが分からないことに"人間としてのコミュニケーションについての理解にそもそも欠陥がある”なんてことをまっすぐ、しゃあしゃあと、ドヤ顔で言えてしまう。

同じような経験のある方もいるかもしれません。ここまで攻撃的でなくとも、例えば、他責にしてはいけないというような”成長するためには精神面が重要”という発想は珍しくないと思います。

実際、コンピテンシーという"仕事で成果を上げる人の行動特性"を定義した指標があり、それはリーダーシップや戦略性、他者協働力などいわゆる”人間力”や”人間性”に近いと言えるかもです。参照:https://corp.miidas.jp/assessment/526/

ただ、普通に考えて、何かが出来なかったことの真因が全て、人間性の問題の訳が無いんです。

しかし、”成長するためには他責にせず、相手の言葉を感謝して真摯に受け止めねばならない"という既に掛かっていた”人間性への呪い"によって、自分はそれを受け止めないことが出来なかった。

自分のことを嫌いな奴の、自分だって顔も見たくない奴の、えぐるような人間性の否定を真正面から受け止め、自分という人間の在り方を自ら否定し尽くし、その懺悔を仕事の質と量で証明する。

そんな地獄にたどり着いた結果、私の心はボロボロになりました。その時の自分について家族に聞くと、"仕事が出来ない、期待に応えられない自分が悔しい"と毎日泣いていたと話してました。

心の傷は癒えていないし、今もすごく痛い。だけど、その痛みに隠れて傷に刷り込まれていた"呪い"にその時まで私は気づいてませんでした。

”何かが出来なかったということは、自分の人間性に問題があるからだ”という思い込みには。


たとえ呪われていたとしても

とはいえ、それに気づいたとしても事態がどうなるものでもなく。むしろパワハラされていた時の苦しさや恐れがフィードバック中にフラッシュバックするように。

試験を受けるどころではない。コーチングに関係する全てのものから逃げ出したい。

そんな気持ちで塗りつぶされ、自分は仲間たちに頼んでいた全ての練習をキャンセルしました。

そこから、セッションはしない、コーチとは関わらない、コーチングの話はしないという"非コーチ三原則"を遵守する中で、予約していたマイコーチとの対面コーチングの日が来ました。

対面でのコーチングは中々ない機会だし、場所も予約してもらっていたし、というしゃあなし感や不安、そして何か現状に風穴を開けてくれないかという期待の織り交ざった感覚でおしゃれタウン表参道の秘密基地へ向かいます。

マイコーチはめちゃくちゃパワフルな上に、自分と視点や思考が170度くらい違いますコミュニケーションのベースに強めの共感がある自分をして「ほえー」しか声が出ないのがマイコーチとのコミュニケーション(その後意図の確認に続く)。

いつも力強く自分の思い込みフィルターを2-3枚くらいまとめてブチはがしてくれますが、その日もやはり不動明王ばりの力強さで、生涯大事にするだろう気づきを呪いの上から刻んでくれました。

うまくやろうとしてる安芸さんがいるんだねー(ふうんみたいな雰囲気で)
で?安芸さんどうしたいの?
(安芸さんの心は) なんて言ってるの?

あれ?これマイコーチの営業妨害にならないかな

そんな彼女の力強すぎる問い。その問いから、こんな答えが浮かんできたんです。

”自分を信じてやってみる”

”自分を信じられる理由も信じられない理由も、どっちも挙げようと思えばいくらだって出せるし、どの理由も選ぼうと思えば選べる。だから、結局自分がどっちを選ぶかだけだ”

うまくやろうとする自信や勇気のない自分はいます。評価されたい、よく見せたい自分なんてその5倍います。それをフラッシュバックさせる呪いも全然解けていない。それはどうしようもない。

でもどうしたいかを考えるなら、そうじゃない自分になっていきたい。だから選びたい。絶望的要素を受け入れながら、そのまま前に進むことを。

たとえ取る行動は同じだったとしても、自分の中に何があるのかを自覚して、その上でじゃあどうしたい?を選択することが人は出来る。

そんなことを少し靄が晴れたようにまとまりなく話す自分に、マイコーチは"(コーチングで言う)パーソナルセルフだね"と当たり前の様にサバサバと返しました。まったくもう。


その上で、どこに向かって進みたい?

とはいえ、それに気づいたとしても、そこからバリバリコーチング練習にいそしめたぜ!というかというとそうは問屋が卸さない。コーチングはやはり死ぬ程苦しかったです。漫画みたいにはうまくいかないもんですね。

そこから自分はコーチングではなく呪いに向き合うことにしました。"成功するには寝る間も惜しんで努力しなくてはいけない"という自分の呪いの一つに、"頑張らない"ことで戦いを挑みました。

睡眠時間を4時間から8時間と倍にすることだけ考え、コーチングには極力触れない。試験当日も仕事を早引けし、コーチングをするかと思えばコーチ仲間と雑談。そしてその後は試験までお風呂でカラオケ大会(夜は墓場で運動会のノリ)。とにかく頑張らないこと、それだけ考えました。

そんなことで何か心の歯車がかみ合い、試験では開き直れていい結果に繋がったのかもしれません。試験官の方に出しておきたい気持ちはあるかと聞かれてこう話したのを覚えています。

"この試験をきっかけに死ぬ程悩んでコーチングが怖くなりました。そしてそのまま今に至ります。解決してないです。でもその葛藤と向き合う中ですごく大事なものを得られたので、受からなくてもいいやと思えてます"

このnoteから伝わったらなと感じていたのは、まさにその葛藤から得た大事なもの

自分の弱さ、見たくないところ、いっぱいあると思います。克服したくなるって?めっちゃいいと思います。アリです。でも、正直克服しようとほっとこうと、何を選ぶかはどっちでもいい。

自分の心を見て、感じて、存在を自覚して、その上で自分はどうしたいか。どんな方向に、どんな未来に向かって足を踏み出したいのか。

それがすごく大事なんだと思います。

どんな不利な状況や条件があったとしても、それはイコール取る選択じゃない。人は、俺は、皆さんは、それを見据えながらもどこ吹く風で、時にひょうひょうと、時に毅然と自分の進む道を選べるんです。

今回のことで、そのことの大切さに文字通り身を持って気付けました。

そして、もう一つ。コーチってのはそれをクライアントが信じられるように伝えていく存在なんだと今ココの自分には感じられています。

"その上で、あなたはどこへ進みたいの?"と、本質を力強く問える存在。そんなコーチ像が新たに自分のコアの部分に生まれていたのでした。

もし皆さんの中に、あまた浮かんでくる色々な不利や絶望にとらわれてモヤモヤしている方、怖くなっている方、ただそんなのはさておき本当は少しでも前に進みたいと願ってる方がいたら。

一緒にその思いを見つめましょう。

その上でどこ行きたい?を時に楽しく、時にしんみり一緒に向き合いましょう。

安芸やコーチングに興味を持って下さった方はこちらからご連絡ください。体験セッションもやっています。過去のコーチングについての記事はこちらです。

思いと力がこもり過ぎて読ませる気の無い長さになってしまいましたが、本当にここまで読んでくださってありがとうございました!

ここからはスペシャルサンクス予定でしたが

最後のスペシャルサンクスに熱がこもり過ぎてしまい3000字近くになってしまったことから、こちらだけ内容を別で分けました笑 スーパー内輪感がありますので、ご興味ある方のみご覧ください。


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