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ポジティブマインド

こんにちは!まこです。

3回に分けて書いてきた
「【特別】を貫き通す。障害があっても後悔のない人生を送るために」
もいよいよ今回で最後となります。

今回はウザいくらいポジティブに書いていきますから覚悟しておいてくださいね(^_-)-☆ウザ

ちなみに過去2回の記事はコチラ↓↓↓↓

1.希望がないなら生み出せばいい

見出しがぺこぱっぽくなりましたが意図していませんよ(;'∀')

とまぁそんなことはさておき、僕自身に障害があるため、過去2回にわたりずっと障害を軸に話を進めてきましたが、「ポジティブに捉える重要さ」はなにも障害に限った話ではありません。
誰しもに当てはまる普遍的な内容だと思っています。

障害だけでなく、それ自体がマイナスのものであっても、そこから派生するすべてがマイナスだなんてありえないと思います。

きっと、マイナスの中にも光は隠れているはずなんです。
そうじゃないと救いがない、無慈悲すぎる。

万が一そこに光がなくても。
光を見つけ出せないとしても。
それならそれで、無理やりにでも生み出してしまえばいいんです。

たとえそこに価値はないとしても、自分の中に一つでもプラスを生み出せたのなら、そこからどんどん希望が生まれてくると思います。
少なくとも僕はそう信じて生きています。

僕の場合は、このどうしようもないうっとうしい障害を、何とかプラスのものに、何かしらの希望に変えてやる。

確固たる自我が芽生えて約20年、浮き沈みこそありますが、僕はずっとこの想いを「信念」として抱き続けています。

2.挑戦できることは幸せなこと

あえてストレートに書きますが、この世界には何かに取り組みたくても、そうすること自体が難しいという方がたくさんいます。
それは決して、その人たちの「甘え」ではありません。
物理的に、精神的に、経済的に、社会的に・・・できないことなんてたくさんあります。

「この世には不可能なことなんて一つもない!挑戦しない奴が悪いんだ!」
とか何とか薄っぺらいことを言う人間がたくさんいますが、僕はそういうの大っ嫌いです。

「それはお前が恵まれてるだけやからな!」
と声を大にして言いたい。
「現実知らんくせに思い込みで言うな!」
と声を大にして言いたい。


ただしそうは言いながらも、比較的多くの方には、たとえ小さなことでも何かしらにチャレンジできる環境、能力が備わっていることもまた事実だと思います。

「どうせ自分には何もできない」
「努力?そんなしんどいことしたくない」
「もっと良い生活はしたいけど、頑張るのは嫌」

僕はこれまでこういった方々を何人も見てきました。

別に何かに挑戦しようがしまいが、そして何かに努力しようがしまいが、そんなことはその人の勝手ですし、こちらが口を挟むことでもありません。

でも、今の自分の境遇・生活に不平や不満、文句ばかり言うのなら
「何か一つでも頑張ってみろよ!」
「何か一つでも覚悟を決めて犠牲にしてみろよ!」
と言いたくはなります。

だってああやって言える人には取り組める力や可能性があるんですから。

僕からすれば「もったいない、いっぱい選択肢があるのに」と思います。

それと同時に「チャレンジできる環境にあるだけであなたは恵まれているのになぁ」とも思います。

自ら考えて、行動して、努力して、継続して。
そうしないとチャンスなんて訪れるわけがない。

逆に言えば、そうするだけでチャンスは無限に訪れるとも思うんです。

3.ポジティブな性根

「障害自体はマイナスなもの」だと言い続けてきたため、読者のみなさんからすると僕は「ネガティブ思考」の人間だと思われているかもしれません。

確かに僕はストレスに弱い、神経質、繊細、常に何か考えてしまうなど、普段は何かとネガティブ人間なのですが・・・

でも実は、僕の奥の奥の奥の奥・・・地球で言うとマントルに該当するくらいの「核」の部分は恐ろしくポジティブなんです(^O^)/笑

絶対に成功する!もし失敗しても次の成功につながる!

何でかわからないんですが、不思議とそう思えちゃうんです。
根拠なんて1mmもないのに。笑

ポジティブなのは障害に対してもそうなんです。
別にどれだけネガティブに考えたとしても、障害って死ぬまでつきまとってくるんですよね。

だったら利用するしかない。
障害に振り回されるくらいなら僕は障害を利用してやります。
そして僕は自分の夢を実現させたいと思ってます。

4.後悔しないための自己肯定

「もし自分に障害がなく、普通の身体だったらどんな人生やったんやろう」
とよく考えることがあるという内容を、以前に以下↓↓の記事で書きました。

これでいて僕は自分の運動神経にはめちゃくちゃ自信がある(実際の運動「能力」ではなく「神経」の話ですよ!)ので、
「障害が無かったら今頃はプロ野球選手、いやメジャーリーガーにでもなってて、きっとバリバリのスター選手やったんやろなぁ(*‘ω‘*)」
とか毎日アホみたいなことばかり想像しています。笑

でも実際はどうなのかなぁ、とも。

別に強がりでも何でもなく、今のこの身体だからこそ身についたものもたくさんあるんだろうなと思うんです。

もし僕が「健常者」だったら、どうしようもないクソ野郎だったかもしれませんからね(今でも十分クソ野郎なのはここだけの内緒で)。

何にも努力しない、勉強もしない、人の気持ちも考えない、仕事もしない・・・そんな人間だった可能性も大いにあるわけです。

経験も、人脈も、学歴も、給料も。
今よりずっと低いものになっていたかもしれません。

そう考えると、まだまだ自分を認めるつもりはないですし、僕の努力なんて正直ちっぽけなものだとも思いますが、それでも「ある程度は」頑張ってきた自分を素直に認めてやってもいいのかなと、歳を重ねた今ならそう思えるようになりました。

もちろん肯定したくない自分もいっぱいありますよ。
もっと頑張れよ!甘えるな!と思う自分もたくさんいます。

でも、俗に言う「障害受容」というやつでしょうか。
僕はこの言葉も大嫌いなんですが、それでも自分の障害も含めて、認められる部分は認められるようになった。
自己否定ばかりしていた頃を思うと、我ながら成長したなぁと思います。

5.最後に

障害の有無に関わらず、少しでも自分自身を認めてあげない限り、後悔のない人生、幸せな人生を送ることはできないですよね。

なんか偉そうな感じになっちゃいますが、みなさんもぜひ、自分のほんの一部でもいいので、労われる部分は労わってやってくださいね。

他者に認められる、評価されることも重要ではありますが、最後は自分で自分を認めてあげること。
これが一番大事
だと思いますから。

自分自身の褒めるべき部分は褒める。
反省すべき部分は反省する。
叱るべき部分は叱る。

好きと嫌いが混在している自分くらいがちょうどいいのかな、と思います。

長々と書いてきましたが、僕はこれからもオンリーワンの人生を歩み続けていきたいと思います。
そしてそこで感じたこと、経験したことなどを、社会に還元していくことが現状考えられるベストな生き方だと思っています。

これまた偉そうな感じになっちゃいますが、みなさんもみなさん自身が考えられるベストな人生を突き進んでくださいね。

それではこれにて当シリーズを終わりにしたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました(`・ω・´)!

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