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断想:春と一体化してみたい、ヒステリー、人名


冬ってネガティブの隠喩として使われますよね。春が来るっていうポジティブな意味合いの対として。

でも実際の春って、そんなにハッピーかね。

わたくしあんまり春にいい思い出がなくてね。花粉症つらいとかそういうのじゃなくて、卒業式で寂しかったり、受験に失敗したり、環境が変わったりってとにかくもう大変じゃないですか。外的ストレスのオンパレードなの。

桜が舞い散るなかを手を広げて深呼吸して、春と一体化してみたいですよわたくしだって。しかし現実そうもいかないわけよね。



週に1回くらいのペースで書いているこのエッセイ的なシリーズ、「東京活断想」ですが、これも割とおもいつくままに書くネタが多いいっぽうでアイディアメモにいくつも書きたいことのストックがあるんですよね。

でもなんかすんんんんごい疲れそうなやつばっかりなのよ。調査が必要だったり、分析が必要だったりいっちょまえにね。

春がどうたらこうたらみたいなのがいちばん楽なんだ。

そもそも断想シリーズは「大日本末期文学」シリーズつまり散文の幕間のイロモノ扱いなんで、そんなに気合い入れたくもないってことなんです。

でもやっぱりせっかくのnoteだし文学垢だし、ことばにまつわることとか書いていきたいなと思うんだけど、はっきり言って疲れてますわね!わたくし!なんだろね!困ったね!

ヒステリーを起こしている場合ではないんです。

ああ書く気が逆に沸いてきた。



相変わらず創作物の作中人物の名前って悩まされますよね。どうですか?

アルファベットでN氏とかS氏とかにしている場合もあるし、あとは〇〇さんってやるときもあれば、無難な名前、佐藤さん田中さんも使うし逆にぜったいにいないだろっていう蝦蛄川とかね。

いちおう使い分けているんですよ。


イニシャル
淡々とショートショート的トリックを見せたい場合、正当派の場合には妙な描写を入れたくないから、星新一先生のようにアルファベット。


〇〇さん
残忍だったり洒落にならない系のテーマでなおかつオチも気味が悪いとき。誰かが傷つかないように。


上記ふたつのパターンはできるだけ文中でも名前を使わないで役職だったりにすることも多いですかね。

例をあげようとしたけど最近書いてないって気づきました。ここから下は挙げられます。

無難な名前
わりとどうでもいい話のとき。アルファベットだと逆に文中でつっかかるからね。


イニシャル+無難な名前
っていうパターンもあったな。これもわりとどうでもいい。


絶対いない名前
同じ名前のひとがいたら傷つくというよりもこっぱずかしいだろうなって思う場合。甘枝的な作品の代表作はこれらの名前が出ることが多いのです。


どっちにしろ人名って大事じゃん。作品のよしあしに影響するじゃん。
だけども改めて遡ったら例外だらけで自分に呆れた。

ね。










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