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『八時にはウチに』


会社とは逆方向の電車に乗り

二つ先の駅で降りる

そこから歩いて五分ほどで

先輩のアパートに着く


一度や二度のチャイムでは

先輩は起きてこない

電話をかける

十数回のコールでようやく

うっとおしそうに

なんとか


それからだいたい十五分は待ち

先輩はスーツ姿で玄関の扉を開ける


「おはようございます」


幸い先輩の最寄駅からは始発がある

僕は早足で少し先を行き

ホームの列に並ぶ

回送車両のドアが開くと

急いで二席を確保して

先輩を導く


こういう日課だ


昼休みになる

先輩の仕事に区切りがついた頃合いを察し

「きょうはどうしましょうか」

と一声かける


何も言わずに前を進む先輩

黙って僕はついていく

いつもの定食屋

いつものラーメン屋

決まってこの二軒のどちらか


ほぼ無言で食事の時は過ぎる

いつもは


でも今日はちょっと


先輩がヒレカツ定食をあと一切れというところで

焼き鯖を平らげた僕は声を発した

「先輩、僕、結婚することになりました」


先輩の顔がこわばった

白米を無理やり口に押し込もうとしているのがわかった


「奥さんの実家の稼業を継ぐので、仕事を辞めて仙台に移り住むことにします」

こんなに矢継早に

こんなに長い文句を

先輩に伝えたことって

新卒から四年ほど

あっただろうか


先輩は白米を咀嚼し終え

「仙台なら、朝五時に出りゃ新幹線乗って上野で降りて、八時にはウチに来れるな」


何を言っているのか理解できなかった

そんなことはない

こんな答えも少しは予想していた


いつも昼飯代は各自だけど

きょうは急いで伝票を持ってレジに向かい

先輩の分も僕が支払った


先輩は何も言わなかった


自席に戻った僕は先輩に

「無理に決まってるじゃないですか」

と伝えた


どうやら

きょう先輩は午後半休で帰ることにしたようだ


帰りの日課は免除だな

明日の朝はどうしようかな








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