断想:ジャンル分けとメタ、日常の語学
拙作はなかなかジャンル分けが難しいと思うんですよね。いちおうショートショートということにしていますけど、落としてないときもあるし、詩に近いときもごくたまにあって。
まあnote界隈で自由にやっている分には構わないと思うんですけど、じっさい文学となるとまずジャンルありきっていうのが、考えようによっては残念ですね。
書店で棚にそう仕分けされちゃってるわけですから。
純文学に見せかけて、最後ストーンと落とす。あるいはその逆。または、実用本と思わせてまったくのデタラメで謎展開に入るといったメタ構成。
これは一般に流通している書籍ではやりにくいでしょうね。自費出版でなく、商業出版されるものであればなおさらに。
世の中そうやってジャンル分けされてるモノこそ求められているのでしょうかね?
いくら「衝撃のラスト」「想像もしなかった展開」って煽られてもね、ミステリの棚にあればミステリの領域超えることはタブーなんでしょ?って。
少し話を進めまして。
いつの時代もそんなに進化しないベタな展開のストーリーってありますね。
「衝撃のラスト」「想像もしなかった展開」は、考えるのめんどいよ、脳みそ疲れるよっていう考え方もあるそうですよ。
だから妙に凝ったストーリーはいらないから、単純に泣けて、無邪気に笑える、ハラハラするような作品は時代を超えて需要があるみたいなの。
ま、そんなことはわたくしが論じるまでもないんですけど、つまりメタ構成的な、いわばミステリと思わせて純文学、料理レシピと思わせてホラー小説、るるぶと思ったら赤本、そういうわけにはいかないし、そんなもんほとんど需要がないわけなんですよね。
そうなると逆張りがモットーの大日本末期文学会主宰としては、いっそう深い地底の底の底を目指して、メタメタメタメタメタメッタメタ、掘り下げていかないといけないなと心に誓うわけです。
とはいえとても難しいことなので、日々是精進といったところですね。
もう少し書きたいので続けましょうか。内容を転じます。
語学にはとても興味があって、英語などは社会に出てからも勉強をしていた時期もあるのですが、日常使っていないとやっぱり出てこなくて。
改めて勉強しようと思っている矢先、都会の某駅でバックパッカーの白人さんカップルが迷ってるわけですよ。
声を掛けたよね。
ただ英語らしい英語が出てこなくて、指さしてオーバーゼアで事足りちゃうもんだから、こまっちゃうよね逆に。
Do you want to get on Yamanote-line? Oh,here is Daimon-station of O-ed subway line. Hamamatsu-cho station is over there. Follow me.
なんて言わないんだよ実際には。
まとめます。
みんなジャンルの枠を外れない作品がいいのかな?るるぶだと思って赤本だったらいやだもんね?
脳が疲れるからベタなのがいいって思うときある?水戸黄門?東京リベンジャーズ?
メタ構成ってのは素人が手を出すもんじゃねえのかな(真顔)?
身振り手振りでなんとかなっちゃうから語学の実地訓練って難しいよね?
浜松町界隈で旨い店あったら教えて
そんなところですかね。