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私のツイートはうんち

著名人でない限り、ツイッターはコンプラの観点において特にハイリスクな場所だと思う。みんなの負の感情がこれでもかというほどダダ漏れで、そのダダ漏れは川の様に流れ去っていく。

会社の人、片思いの相手、家族には見せない方が賢明。多分、ヘビーユーザーのほとんどがその様な使い方をしていると思う。

そんなにリスキーなら心の中で留めておけばいいじゃないかと頭では分かっている。しかしツイッターには「あまりお互いに干渉せずとも、まるで人に話している様な臨場感」がある。打ち込んでから一瞬のうちに「ポン」と音を立てて形になって、雑踏の中に姿を現す。こういうのって、きっと人間が、寂しい大人たちがすごく求めていることなんじゃないだろうか。

「うんちみたいなツイートがもたらす効果」はきっとお花摘みと一緒だ。あんなのはトイレに行きたくて用を足している様なもので、うんちに意味はない。スッキリしたらまた前向きに、建設的に物事を考えられるだろう。清々しい顔で翌朝は出社出来るかもしれない。私は、もしそれが過激で歪んだ表現であったとしても、傷ついてしまったなら、一旦そのままの感情を言葉にすることが大切だと思う。うんちを毛嫌いすると出し方も形も忘れてしまって、自分を傷つけることになるからだ。

(もちろん正義中毒の様に、毒が回った状態ならそれはまた別の問題だと思う)


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