教育・学びの未来を創造する教育長・校長プラットフォーム「2022年総会」レポート
近頃、「多様化する子どもたち」と言われる中で、子どもたちを形容する言葉が増えました。
その言葉は主に課題を語る時に使用されることが多いですが、”多様化というのは本来子どもの可能性を表す言葉ではないのか”という印象的な問いかけから始まった今回のイベント。
タイトルにはそんな想いが込められ「子供の可能性×公教育の挑戦=∞ ~言うは易し、行うは難しの『誰ひとり取り残さない』に本気で挑戦する教育実践~」というテーマで、4名の教育長・校長が話題提供者として登壇されました。
また今回は、参加者の皆さんが主体的に関われる機会を作るために、持ち込み企画という新たな試みにチャレンジしています。
その一つひとつの概要をご紹介します。
教室と繋がる校内適応指導教室を通じた不登校支援
高知市立城東中学校の大谷俊彦校長からの話題提供です。
校内適応指導教室を始めるにあたり、まず不登校の要因調査の結果に注目した大谷校長。このような調査結果は本人や家庭に起因した理由の割合が大きく、それをそのまま受け取ってしまうと学校にできることがなくなってしまうため、学校側の要因もあるという前提のもとに、不登校支援に取り組むことにしました。
今回ご紹介いただいた取り組みは、適応指導教室を校内に設置したことで、学校が変わる必要性がより高まる中でのチャレンジです。当初は教員からの反対もあったそうですが、そんな反対の声が理解へと変化した背景には、生徒たちの姿がありました。
「学びの保健室『タンポポルーム』」と名付けられた教室は、他の生徒の目を気にせずに入れるよう、正門以外の場所から入れる教室になっています。シェアハウスのように、集団で学べる場、個別で学べる場、共有スペースで構成され、個別対応が可能なよう配慮がなされています。
ただ、それだけでは一人ひとりにとって安心安全な空間が作られるわけではありません。そこで「自分たちの教室は自分たちで作る」ことからスタートしました。不登校の生徒は、人と一緒に何かを作ったり他者から認めてもらう場がほとんどなかったりという点からも、いい活動になったとのこと。
生徒たちが学びやすいように、教室のレイアウトを変更したり、外からの視線が気にならないように窓に目隠しシートを貼ったり、自分が本来通うはずのクラスの様子がわかるように時間割などのスケジュールも共有できるようにするなど、少しずつ環境を整えていきました。
運営体制は3人(常駐職員、支援コーディネーター、養護教諭)が結束して支援をしていますが、タンポポルームの授業は、教科担当の先生の持ちコマ数に入っており、全教員が関わるようになっています。このことで、当初反対をしていた教員も生徒の変化を目の当たりにし、意識に変化が現れたそうです。
教員の負担が増えないよう授業のコマ数が少ない教員に振り分けたりするなどの工夫をしていますが、これは教員加配があるからできる状況だと付け加えられていました。
不登校支援は自治体による取り組みもあるものの、学校から4キロ近く離れている場所にあるなど、現実的に通うことが難しい生徒も多いため、地域・校内にあることは大変重要な要素です。
取り組みが始まってタンポポルームに通っていた生徒たちは、
など様々な変化があったようです。
目の前で起こっている不登校という事実だけに目を向けるのではなく、学校側が授業や学校/学級経営を振り返り、それらを総合的に見つめ直していくことで、不登校の背景にある課題が解決されるのだとイメージができました。
また、今回のイベントでは、実際に通っていた生徒さんが生の声を聞かせてくださいました。
▼生徒Aさんの声
そして、Aさんは、高校入試のための面接の練習で「学校の先生になりたい、不登校の子どもの痛みのわかる教員になりたい」と話してくれたそうで、今回のイベントにも「文部科学省の人に直接伝えるチャンス」ということで参加してくれたそうです。
生徒さんの声が聞けたことで、タンポポルームの様子がより鮮明に再現できたように感じました。
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生徒の一歩の成長のために、教職員・学校・地域が共に歩むということ
盛岡市黒石野中学校の小野寺哲男校長からの話題提供です。
「生徒の一歩の成長のために、教職員・学校・地域が共に歩むということ」をテーマに、お話しいただきました。岩手県教委での御経験や2011年の東日本大震災の時期を経て、学校は何のためにあるのかを問い続けてきた先にある生徒の姿をお届けします。
2005-06年に、小野寺校長が学力担当指導主事として、県教委・市町村教委が一緒に英語の授業を改善する取り組みの立ち上げに携わり、学校訪問を1週間で最大10校ほど回っていた当時。学校訪問は岩手県では初の取り組みだったのですが、"中学と高校の接続をもっと丁寧に行えば、生徒の力が伸びるのでは"という仮説を立てたことから始まりました。
授業を見て、良いのか悪いのか率直に語り合うこととし、"生徒たちがこんな反応をした時、先生の授業ではこんなことをされていたので、次はこのように発問をした方がいいのではないか"など、事実から改善点や具体的な提案を伝えるようにしていたそうです。
年間約300校を訪問する中で見えてくる生徒たち一人ひとりの違いを見抜き、その違いを踏まえた発問の工夫ができるように改善点を丁寧に伝える取り組みから、「一歩の成長」を大切にしてきたことが伺えます。
そして2011年、東日本大震災が起こり、状況はこれまでと一変します。
震災により、被災地では授業を「仮設スペースを間仕切りした状況で行わざるを得ない学校」がありました。
また、生徒にとって校庭がなくなったことは大きな出来事でした。
これまでの「当たり前」が、「当たり前」でなくなったことを象徴するものでもあります。
しかし、生徒たちは自分たちの手で新しい歴史を築いて行こうと前向きに取り組んでいました。グラウンドがなくても不満をこぼさず、一生懸命取り組んでいる姿が印象的だったと言います。
震災以降、岩手県では「いきる・かかわる・そなえる」という三つの教育的価値を伝えていくため、防災教育も含んだ「復興教育」を始めました。震災から得た教訓を学びとして広めているのです。この復興教育は「人づくり」が軸になっています。
それまでの岩手県は、「知・徳・体」を備え調和の取れた人間形成を人づくりの目的としていましたが、そこに復興教育の視点として、郷土を愛し、その復興・発展を支える人材の育成、「人づくり」が補完されました。
震災後、小野寺校長が陸前高田市の中学校に校長として勤務した際のことです。盛岡での駅伝大会に、学校として女子チームが初めて参加した際、キャプテンが取材でこう答えました。
「私たちは走れることに感謝しています。元気に走ることで家族に感謝し、地域に元気を届けたい」と自分の言葉で語ったのです。この生徒は取材前に教師からの指導を受けていない状況でありましたが、このような言葉で取材に対応したのです。
取材後、記者からキャプテンの言葉を聞いたとき、このキャプテンに限らず、本校の生徒たちは家族をはじめ、頑張る大人の背中をみて、家族に感謝し、地域に元気をという気持ちが心の内にあるのだと思いました。
その他にも、生徒たちのエピソードとして、他の地域に災害が起こった時に、募金を集めて困っている人に何かをしたいという声が子どもたちからあがったそうです。「私たちはたくさん支援を受けたから、それを『恩送り』という形で返したい」と。そんな生徒たちの姿から多くのことを学んだということでした。
学校は何のためにあるのかという問いから、生徒たちの「今」を大切にしてきたからこその姿がそこにあったのだと感じるエピソードの数々でした。
"教育とは、存在への激励である。"
"生徒の一歩の成長のため、 私たち自身が一歩の成長を目指し、学校づくり等を一緒に考え続けましょう。"
”それは簡単なことではないですが、それぞれの成長のために、もがき続けていきましょう。”
数々の温かいメッセージから、小野寺校長の挑戦の軌跡と哲学を学ばせてもらいました。
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「#混在と多様性」から「#個別最適な学び」をデザインできる学校を創る
双葉郡大熊町立小中学校(4月から大熊町立学び舎ゆめの森(義務教育学校))の佐藤由弘校長からの話題提供です。
東日本大震災以降、大熊町で11年間学校が再開できずにいた中で、避難先である会津若松において義務教育学校として双葉郡大熊町立学び舎ゆめの森が作られました。
東日本大震災は、学校教育においても大きな意識改革の起点となる出来事であり、私たちの中にある「ねばならない」をどう変えていくのか、今までの教育のあり方、手段をアンラーンしていくことを大きなテーマとしてお話いただきました。
大熊町立小中学校は、障がいのある児童・生徒も共に学ぶ環境になっており、どんな児童・生徒に取っても安全性があり、インクルーシブな環境を目指しています。
児童・生徒たちはAI型タブレット教材Qubenaを活用し、自分のペースで学び、知識を習得できるようになっています。
思考・判断・表現については、子どもたちが学んだことについて、プレゼンテーションする機会を設けて評価をしているそうです。
中学生の保護者は、受験も控えているため、これまでのやり方とは違うやり方に不安があったものの、児童・生徒たちが学んだことをプレゼンする姿を見て、自分たちができなかったことへチャレンジする姿に今までとは違う子どもたちの成長の姿を感じているといいます。
この学校の学習環境のあり方は、学校経営ビジョンの軸にもなっている「混在と多様性」のもとに、いろんな人がいる状態で一人ひとりを大事にするためにはどうしたらいいかという考え方を基本に築かれたものです。
教員は、学習指導要領を読み解き、行間に込められた願いなども汲み取って実践しています。これまでのように教科書の単元配当表に沿ったものではなく、児童・生徒たちの学びをベースにした授業時数を管理しているとのことです。
教員の力をつけるために「考える教員集団を作る」ことを目指し、安心安全な組織を作るためにビジョンを明確にしながら、具体的なありたい姿を自らの言葉で表現できるようにしてきたことが今につながっているようです。
教員は、児童・生徒の姿、地域の姿、それから自分がどうしていくのかの順む番で考えています。児童・生徒の幸せな姿を見るために自分の指導力を付けたいという教員のモチベーションを高めたり、モチベーションだけでなく、個人の強みの分析やその分析の結果をもとに、誰が自分と近い特性を持ち、誰が違うのかを把握することで組織の多様性を知る手段としています。
さらに細かいところで言うと、教員を「デザイナー」、校長は「GM」と呼ぶような工夫をしているそうです。「デザイナー」と名前を変えることで、”子どもの学びをデザインする”という意識に変わったり、「運動会」ではなく「スポーツフェス」とすることで、地域の人を巻き込んだお祭りへと意識が変わります。
こういった取り組みは、従来通りのイメージから抜け出すことで可能性が広がり、考え方も柔軟になります。
これは働き方改革にも繋がり、これまでやっていたことで、無駄や無理があったと思われることをやめる必要があるという意識へと変わります。
学校づくりへの挑戦を通じて、改革を持続可能なものとする「教員集団のマインドセット」の変容。5年、10年先の学校の姿がとても楽しみです。
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三島村は日本の保健室~いい村がいい学校を育て いい学校がいい村を育てる~
鹿児島県三島村の室之園晃徳教育長からの話題提供です。
三島村は鹿児島県の離島で、市町村の財政力指標では日本で最下位の村。財政的な厳しさを抱えており、地方創生における問題も抱えています。
しかし村づくりに関われば関わるほど、国の問題や有様が凝縮していることを実感するそうです。地方に限らず全国で起こっている、いじめ、不登校、ヤングケアラーなど子どもたちが抱えている問題の解決、地方創生を実現するために、離島の教育は大きなヒントになると三島村では考えます。
三島村の教育の特徴として、「山海留学」という取り組みが行われています。子どもたちは親元を離れ里親や寮のような場所で生活し、地域の学校に通います。
これによって三島村の学校は存続しています。三島村には、4つの義務教育学校に80名の子ども、53名の先生がいて、村の1/3が子どもと教員という人口比率になっています。このような地域は全国でも他にないと言います。
離島の教育を通じて日々成長する子どもたちの姿を目の当たりにし、この国の教育課題の解決の有効な手立てになると感じるようになりました。山海留学に参加する子どもたちの多くは、元の学校で不登校となった子どもたちであり、三島村は日本の保健室のような役割を果たしているといえます。都市部の不登校問題と、地域の児童生徒減少問題が、山海留学でうまくマッチングすればwin-winな関係を築くことができます。
かつての子どもたちは、自然の中の遊びを通して様々なことを学んできましたが、今はその環境は、求めなければ手に入らない状況です。ですので、都会育ちの子どもたちにとって、自然に溢れた環境はそれだけでとても刺激があるようです。
都会の学校には行けなかった子どもも、村では自分らしさを発揮し登校でき、成績も上がります。環境さえ整えば子どもたちは自分で育つ力を授かっている。さらに、地方にとっても、関係人口が増加し、村に活気が蘇るなどの効果がある。しかしこのようなメリットや成果があることは全国にはあまり伝わっていないところです。
室之園教育長の話題提供を聞いた参加者からは、自分の地域で山海留学を紹介したいという声や、全国の山海留学のネットワークを作りたいという声がありました。
三島村の教育のもう一つの柱は、遠隔授業です。三島村のICT環境は他の自治体とそう異なりませんが、これまで単発的、イベント的に行っていたICTを活用した遠隔教育の実践を、「よりシンプルに、より日常的に」していくために、現在試行錯誤されています。
まず三島村の4つの学校で校時表を統一することで、各学校の日時調整がスムーズになったり時間割を揃えることを可能にします。これにより、各学校を繋いだ遠隔授業を行うことができます。
また、TV会議システムを使いながら、協働学習用ツールを併用することで、別の学校の生徒と同じ教室にいるような感覚での授業が可能になります。
各学校や地域ごとの文化もあるため、簡単なことではないですが、継続していくことで定着させようとしているとのこと。
このオンライン授業により、手始めに取り組んだ数学と英語の遠隔合同授業では、年間の約8〜9割が実現。離島の小規模校の課題でもあった、免許外教科を複数持たざるを得ない状況を他の学校に専門の教員がいることで負担解消に効果を発揮したり、教員相互の指導法のスキルアップ、子どもたちの学力向上にもつながっているとのこと。
また、これまではつながりがなかった4つの学校が一つの学校のようになり、絆も深まっているそうです。
また、オンラインの活用によってこれまでアフリカのギニアとの交流も28年間続けていますが、新たな展開を見せています。
ギニアの子どもが三島村を訪れたり、オリンピックではホストタウンになるなど、さまざまな交流が展開しているそうです。
離島の魅力やそこで行われている教育、山海留学の実態や成果など、たっぷりとお伝えいただきましたが、室之園教育長もおっしゃっていたとおり、まだ知られていないことの方が多いです。
「離島教育は教育の原点であり、村は国の縮図である。」日本の教育における課題解決の可能性が詰まった実践が、さらに広がって欲しいと感じました。
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持ち込み企画
初の試みとして行われた持ち込み企画。こちらは、事務局がアレンジをするのではなく、「こういうことを訴えたい、議論したい」という、実践者の方の主体的な取り組みを促すために企画されたものです。
今回は、「誰ひとり取り残さない 何ひとつ見逃さない 新たな地域連携」と題し、稲垣一郎葉山町教育長、森岡孝 葉山町立南郷中学校校長、村松雅 教育情報化サポーター(※前逗子市教育長)からお話いただきました。
経済的な格差のある地域で不要なPCを寄付してもらい、希望家庭に無償提供したり、地域のICTに長けた人を募集し、小・中連携のコミュニティ・スクールを通してボランティアで入ってもらうなどの取り組みや、通常の端末をクロームブックにしたり、Wi-Fi環境がない家庭にWi-Fiが繋がる施設を提供するなどの地道な課題解決も行ってきたとのこと。
地域の活力を学校に取り入れ、子どもの学びを下支えをする取り組みは、他の自治体でも参考になるような多くのヒントが詰まったものでした。
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最後に
今回、参加者の一人であった埼玉県戸田市の戸ケ﨑教育長からは、このプラットフォームについて「熱意ある文部科学省の職員中心の運営から、学校現場の当事者が主体的に関わっていくフェーズに移っていく頃ではないか。そして、『あの学校だからできるんだ』という思考から『うちでもできるんだ』と現場の意識を変えていくために頑張りたい」という趣旨のコメントがありました。
事務局メンバーからは「『答えは現場にある』ことを大切に、お互いがお互いの事例から学ぶ場を作って行ければと思います。参加者のみなさんの今後につなげていただけたら嬉しいです」という言葉で締められました。
戸ヶ﨑教育長からもあったように、事務局の方の熱意によって支えられていたコミュニティが、現場の当事者の方々により、自発的・主体的に広がりを見せることで、より良い学校教育が実現するのだろうと感じました。
誰もが主体的に日本の教育を考えることができる場として、このプラットフォームが進化していくことへ期待を寄せるとともに、地域の大人の一人として学校教育にどう関わっていくことができるだろうかという、自分自身への問いが深まる総会となりました。
今回も大変貴重な機会をいただきありがとうございました。
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