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第32話:家族介護

 毎日、しのぶは実家で過ごす。認知症のぶっこちゃんが一人きりになってしまわないために。
 二月に入ったが、最近は何だか暖かい。だけど、ぶっこちゃんは寒い寒いと言う。
 しのぶはぶっこちゃんの居る部屋のエアコンをつけ、電気ヒーターもつける。ぶっこちゃんが移動する度にヒーターも移動する。
 彼女の寝室は、常にエアコンが三十度設定でがんがんにかかっていて、おまけにアンカもつけっぱなし。
 使っていないのにつけっぱなしのアンカに気付いたときは、都度消す。
 もったいないというのは当たり前だが、それ以上にアンカは危ないという意識がしのぶには強かった。
 だがしかし、ぶっこちゃんは常に暖かくないと不満を言う。
 しのぶは軽く流す。
 だが、問題はそこではない。
 ぶっこちゃんはどうも、薄着をしている。今日なんかは薄手のシャツに、上からジャケットを羽織っている。どうやら服の種類を、上手に選べないようなのだ。
 敢えて見える所に置いてあるレッグウォーマーも着けない。
 聞けば「足は寒くないねん」とかうだうだ言って、最終的に「うたといねん」と。
 要するに、服の選択に介助が必要なんだろう。着る順番に並べて、ひとつひとつ手渡して、うだうだ言うのをなだめながら、ちゃんとした着衣補助を朝一に行う必要性があるのだろうと、しのぶは思った。
 幼い子どものように。
 だが、ぶっこちゃんは幼い子供ではない。ここが難しい。
 しかも、しのぶは朝が比較的苦手だった。ぶっこちゃんに合わせて行動しようとも思わない。
 勿論、近所だからといってメイコには頼めない。
 ぶっこちゃんは、人の世話になりたくないたちである。関わりは求めるが、自分の生活に関することを誰かに頼むことはしない。
 風呂にしても、もう何日入っていないか分からないが、本人はそれでいいらしかった。
 しのぶとしては、デイサービスなんかで安全にお風呂に入ってもらいたいし、ちゃんと適切に服を着てほしいのだけど、本人が望まないことを強要したくはなかった。
 説得も苦手である。
 例えば、お風呂に入れてほしいとか、服を選んでほしいと本人が望むなら、快く時間を割いて関わってあげられる。
 だが、本人は望んでくれないのだ。
 ぶっこちゃんは、自分のことは自分で全部やりたくて、でもしんどいから手抜きになって、それを受け入れる環境であってほしいと望んでいるわけである。
 ぶっこちゃんには毎日、認知症ならではの悩みがある。
 家の中で迷子になるのだ。
 どっちから行けばいいのかって、しょっちゅう迷って困ってる。途中で、どこへ行こうとしていたのかさえ忘れてしまって、挙げ句諦めたはいいけど帰り道も分からずに座り込んで眠ってしまう。
 また、時間が分からない。
 時計を見て「11時ってことは、何時ってことや?」と質問してくる。
 つまり、本人は毎日大変なのである。悩みが尽きない人なのだ。
 そんなぶっこちゃんに、デイだの風呂だの服装だの、しのぶは強要できないのだ。
 言い訳である。
 本当は、もっと本人に寄り添って、解決への糸口を見つけていかなければならないのかもしれない。
 が、しのぶには無理ぷーであった。
 何故なら、家族だから。
 感情があるから。
 ムカついたりしちゃうときだってある。
 人と人との関係性があるから、答えはひとつじゃないし、一筋縄ではいかないとしのぶは感じている。
「そして私は悩むんだ」と、つぶやいてみたりする。
 一番早い解決法は、他に目を向けること。
 仕事があるからとか、遠方だからとか、そうやって老人を一人にしてしまっている人は罪だとしのぶは考える。
 でも、そういう状況が先にあって、その後親や祖父母が弱ってきたら「仕方無い」という言葉が便利なのである。
 しのぶは、幼少期から祖母に育てられたので、仕方ある立場だった。
 しかも専業主婦だから。
 今更仕事人間になんてなれないし、祖母主体だから。
 だけど、そんなしのぶでも自分の時間を祖母主体で決められない。ある程度、折り合いをつけながら、自分と相談しながら、関わっていかなくちゃならない。
 面倒を見る相手が自分の子どもなら、子ども主体になるんだろうけど、と想像してみる。
 これが介護の困難なところだなと思った。
 手がかかることは同じでも、決して同じじゃない子育てと高齢者介護。
 子どもに自分の人生は捧げられても、親や祖父母には捧げられない。
「この命、どう使う?」って以前テニスの錦織さんが言ってたなと思い出した。

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