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第46話:コメディアン

 ぶっこちゃんとの毎日は、大変なこともあるけれど、それをしのいで愉快でならない。とにかく、吉本に売ったら高く売れるんちゃうかと思う程に日々爆笑発言を連発してくれる。これは認知症老人特有のボケっぷりがそうさせているのだろうか。
 その昔テレビのクイズ番組で高齢者を回答者にしてその珍回答を笑うという今では批判されそうなことをゴールデンタイムに放送していたが、しのぶとぶっこちゃんもそれを見て笑っていた。
 しのぶとしては当時から我が祖母も似たようなものだろうと思っていたが、後に見た番組の裏側を語った放送では、その高齢者も特に面白い発言をする人をよりすぐっているらしいということなので、高齢になるとボケて誰でも面白いことを言うというわけではなさそうだ。
 とすれば、ぶっこちゃんは元来の性質上「笑い」が身についた芸人なのかもしれない。
 真剣な表情でえんどう豆の皮むきをしているぶっこちゃんの正面に座って、まじまじとその様子を眺めながらしのぶは考えていた。
 ふいに、ぶっこちゃんがテーブルの下を覗き込む。
「また落としたんか?」
 しのぶはぶっこちゃんに聞いた。
「いやいや、そんな目つきでいやあるからな、後追うてんねん」
 ん?私?しのぶは意味がわからずにいると、コロコロと足元に豆が転がってきた。
「ぶっこちゃん、こっちまで来たわ」
 拾った豆をぶっこちゃんに見せ、前に置いたボウルに入れた。
「あら」
 ぶっこちゃんはそれだけ言って、また作業に戻る。が、しばらくしてまたテーブルの下をきょろきょろしている。しのぶも同じように床を探す。と、そこには数個の豆が散らばっていた。ぶっこちゃんは、どうもそれらを落としたことには気付いているらしく、気にはなっているらしいのだが、拾うことをしない。恐らくは拾う動作が億劫なのだろう。そしてそれ以上にしのぶに「拾ってんか」と頼むことをしたくなかったのだろう。故に、とりあえず全部剥き終わってから後のことを考えようと「課題の先送り」をしたらしかった。
 しのぶはその豆たちを拾って、そっとボウルに入れた。
 若しくは、そうやってしのぶが拾うのを待っていたのかもしれない。
「今日はよう動いてくれはるわ」
 ぶっこちゃんの言葉が豆に対してなのか、しのぶに対してなのか分かりかねたが、前者ということにしておこうとしのぶは苦笑いする。
「豆剥いてくれてありがとう。私これ苦手なんよなぁ」
 そう言うと、返事はしないがぶっこちゃんは満足げに笑った。
 ぶっこちゃんの日々の生活に笑いをと思って関わるしのぶだが、逆にぶっこちゃんから多くの笑いをもらっていると感じている。そして、次は何笑かしてくれるんやろうかと期待し、その期待に毎日応えてくれるのがぶっこちゃんである。
 ぶっこちゃんの剥いてくれた豆を炊いて晩ごはんの支度を始めようとキッチンに向いていたしのぶは視線を感じて振り返ると、ぶっこちゃんがこちらを見ている。
「シズコちゃんやのうて、えーと、あんた……」
「誰?」
「ははは、えーと……」
 どうやら、呼びかけたいが名前を思い出せないようである。
「今、ごまかしたやろ?」
 そうしのぶが指摘すると、ぶっこちゃんはにやっと笑った。
「ごまかした。えーと、あんた誰やっけ……字引き引いてこよ」
 そう言ってよっこらしょと重い腰を上げた。
 しのぶは自分の名前を忘れられても腹も立たない。悲しいどころか、笑ってしまう。
 さて、字引きに孫の名前が書いてあるのだろうか。

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