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僕の半生Part.16 大好きな会社を辞めた理由とフリーランスとしての独立

このnoteは、キノコ博士だった僕が、高校時代の他人も自分を信じられない暗黒期から、20代のミュージシャンとしての活動を経て、フリーランスのビデオグラファーとして独立する現在に至るまでの半生を綴った「僕の半生」シリーズPart.16です。
前回は、コロナ禍で全てを失った僕が、映像制作に没頭して兼業で映像の仕事を行うようになったところまでお話ししました。
今日はその続きです。

コロナ禍も1年を迎えようとしていた2021年初頭、僕は僕自身の体調不良と戦っていました。
定期的に38度を超える発熱を起こしていたんです。
それぞれ、腸炎だったり、溶連菌だったり、ただの風邪だったり、原因は様々ですが、自分の免疫が落ちていることは火を見るより明らかでした。

そしてその原因を、僕自身は理解していました。
それは、「マスク」です。

マスクによる体調不良

僕は昔から、マスクが大の苦手でした。
10代の頃から重度の花粉症でしたが、それでもマスクをつけて過ごしたことは一度もありません。
酸欠になって、頭が痛くなっちゃうんですよね。
それくらい苦手だったんです。

でも、コロナ禍以降は当然のようにマスク必着の日々。
特に僕の仕事だったApple Japanでの販売の仕事は接客業なので、マスクをつけて1日中会話する日々でした。
ただでさえマスクがきついのに、それで会話するとなると、僕にとっては苦行のようでした。
仕事帰り、毎日頭痛と疲労感に悩まされ、ふらふらになっている日も多くなっていました。

その時の詳細は、当時のnoteに書いていますので、ぜひそちらもお読みください。

大好きな仕事なのに、やればやるほど体が辛くなっていく。
体調はもとより、メンタル的にもだいぶ追い詰められていました。

突然決めた「退職」という選択

そんな日々が続く中で僕は2021年3月に1ヶ月の休職期間を挟み、4月に仕事復帰をするも、またしても熱を出して倒れてしまいました。
その時に僕の中で糸が切れた音がしました。
「もう、これ以上は続けられない」
上司に連絡して退職の意向を伝えました。

僕は基本的に仕事が長続きしない人間なのですが、Apple Japanでの仕事は約5年間続けることができました。
それはひとえに、素晴らしい仲間と尊敬できる上司、そして愛する製品があったからです。
そんな仕事につけることは稀有であることはわかっていますし、辞めることはとてもとても寂しいことでした。
可能であれば
「Apple×音楽×映像」
の3本足で生きていたい。そう思っていたのですが、僕の体がそれを許してはくれませんでした。

結果的に5月末まで走り切り、6月に有休消化をして、5年弱勤めた大好きな会社、Apple Japanを退職しました。

準備なしの独立と不安、そして偶然の出会い

このような経緯で退職・独立したので、僕はフリーランスとしての準備が全然できていない状態でした。

通常、脱サラして独立するとなると、一定の貯金と、独立後に仕事ができるクライアントが見つかっている状態で独立すると思います。

ですが、当時の僕にあったのは、3ヶ月で尽きてしまう貯金だけ。
映像の仕事は継続してもらっていた案件が無くなった直後だったので、正直仕事の目処はない状態でした。

この時の不安と言ったらなかったです。
どうやって再起を図ろうか、考える日々で、noteやYouTubeでの発信などをしてその不安と戦っていました。

そんな仕事をやめてすぐの頃、
以前会社紹介動画を撮らしていただいた株式会社GENELさんという会社さんから、
「これから事業内容が大きく変わり、映像での発信を強化していきたいので、毎月継続で映像制作の契約をしたい」
とご相談をいただきました。

時々、こういう偶然って人生で起こりませんか。
自分が仕事を辞めたタイミングで、またGENELさんも大きな転換点となっていて、偶然の一致で手を取り合って仕事をさせていただくことになりました。

「仕事がない」

「一つ仕事がる」
という状態は全く違います。
自分の成果物の発信があるだけで、次の仕事に繋がります。

本当に本当に、この時にGENELさんとの出会いには感謝しています。

次回が最終回になります。
フリーランスとしてのこれからと、今までの人生の振り返りをしたいと思います。
今日も最後までお読みいただきありがとうございました。

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