心を守るということ
モラハラについて な話。
モラルハラスメント という言葉が世間に浸透するもっとずっと前から、様々なハラスメントと同じくらいモラルハラスメントは人々の無意識下に繁殖していたと思う。
身体の暴力とは違い目に見えない。
あからさまに怒鳴られたりしなくても、相手が意図的にせよ無意識にせよ発した心を傷つける言葉や行動が、私達の大切にしていた何かをビリビリと破いていく。
身近な人同士に起こりやすいから、はじめはモラハラかどうかなんてサッパリ分からない。
「なにかイヤなことを言われた・されたな」と心がザワザワするが、やがて忘れてしまう。
次第に、その頻度が増えたりイヤな気持ちが積み重なっていく。
モラハラの難しいところは、当事者から離れてみてようやく「あれはモラハラだったんだ」と気づくケースが多いことだ。
だから、アレ?と思った位では相手から離れない。
離れるときには心がボロボロになっている。
こんな風に書き連ねることができるのは、私もモラハラを受けた経験があるからだ。
当事者のそばにいればいるほど、どんどん気力や自信をなくし、時の流れと共に「この関係は不健康だ」とようやく気づき抜け出すことができた。
槇は絶対後輩に舐められてるよ、俺にはわかる
槇に転職なんて無理だね、不器用だから職場で笑われるよ
〇〇ちゃん可愛いなぁ、〇〇ちゃん今日は何してるかな?(会う度に私の職場同期の名前を必ず出す)
あぁ苛つく、△△死ねよ(舌打ちしながら物に当たり、自分の職場の同僚について怒号を吐く)
槇は俺と付き合えて幸せだね、だって俺は優しいからさ
これはほんの一例だが、数年前にこういった言葉や態度が矢の雨のように私の心を突き刺し続けた。
何か反論すると、途端に機嫌が悪くなり会話にならない。
やがて大切な家族や友人たちのあたたかい言葉が届かなくなる位、「私には価値がない」という思考へ陥ってしまった。
恐ろしいのは、相手と近づきすぎると離れようとする気力まで奪われることだ。
もし、言葉尻は違えど何か思い当たる人がいたら逃げてほしい。
気力がなくて逃げられないなら、まずは相手の言葉に耳を傾けず心を閉じて、気力が少しでも湧いたタイミングで離れてほしい。
対話するよりも離れた方がいい。
対話にならないことが多いし、相手のためにあなたがあなた自身を擦り減らす必要は全くない。
目に見えないからこそ、助けを求めにくいし理解も得られ難い。
こういう相手は体面を気にし、外面が良いからだ。
親友とモラハラの話をしたときに思い出し、こうして記事を書いた。
今でも思い出すと、身体の力が抜けることがある。
あの時の私自身にも、いま傷ついているあなたにも伝えたい。
考える前に逃げよう!と。
勇気を出して離れてみると、ぐっと堪えた日々に対する幸せの利子が降り注ぐ日がやってくる。
たとえこれまで守り方を知らず傷ついても、これから知っていけばきっと以前より傷は浅くなりいつか傷つかなくなっていく。
何より大切な私とあなたの心が、自分自身によって守られますように。
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