見出し画像

自己紹介(幼少期〜成人まで)

心理カウンセラー小園麻貴(こぞの まき)です。
「はじめまして」のご縁を大切にしたく、
私の半生について、軽く綴っていこうと思います。
ご興味ある方はどうぞお読みいただけたら幸いです。
また、別途当時の詳細や私の想いを込めた半生については
「蒼い真紅」と題して、
別マガジンで一つ一つ綴っております。
こちらもご興味ある方にお読みいただければ幸いです。


画像1


【生い立ち】

1.幼少期

生まれた時に両親は既に離婚し、
私は母方に引き取られていた。 
そのため私に父の記憶はない。
そして物心付いた時には、
6畳二間の住まいに、
祖父母と母と私の四人暮らしをしていた。
(ちなみに…祖父は祖母の再婚相手)
幼少期の私は母が働いていたので、保育園生活。
とても活発で、男の子に年中間違えられていたのを覚えている。
そして、とても家族や周囲の方に愛されていたことも。

ただ、母と祖父母の折り合いが悪く、喧嘩が絶えなかった。
大人達が怒鳴り合う声の中、
隅に敷かれた布団の中で寝たフリをしていた記憶が鮮明に残っている。


2.小学生

明るく、活発で、リーダーシップのあるタイプの女の子に成長した。
反面、いつも大人に囲まれ過ごしていたため、
同年代の子どもの輪に入る事が何故か難しく感じることが多くあった。

そして、小学5年生の時、母は働いていた会社の社長と再婚。

家も6畳二間の家から日本庭園のような茶室のある庭や
シャンデリアのある家に変わり、
学校も名前も生活も一変する。
周囲から羨ましがられてはいたが、
私は、祖父母と離れるのが辛くてたまらなかった。
でも、周囲の大人たちから「ママが幸せになるため」と言われ、
私は私にそう強く言い聞かせ、
賢い娘になるべく努めはじめた頃だろう。

画像2


3.中学生

中学一年の時に弟が生まれる。
とても可愛く、部活にも行かず学校から戻っては、
ベビーカーを押して散歩に連れて周っていた。

そして、英語、ピアノを習い、
夏休みにはサマースクールで一ヶ月程度アメリカに語学留学。
その他、週末は別荘に行き、
年に一度は家族で海外旅行へ行っていた。
その頃から海外へ関心を持ち、
中学校卒業後は、
アメリカの高校~大学へ進学するものと、疑わなかった。

4.高校生 ~アメリカ時代~

アメリカのメリーランド州にある私立・全寮制の高校へ進学した。
言葉の壁はあったものの、
私にとっては夢に見た世界そのものだった。
しかし、その年の冬休みに一時帰国すると、
もう、アメリカには戻れなくなってしまったのである。

当時のバブル崩壊。
帰国後すぐに分かったこと。
それは、義父の会社が倒産していたことだった。

荷物もアメリカに置いたまま、
友人にも先生にもお別れできないままの突然の退学。
自分の無力さを感じ、絶望したのを記憶している。

画像3


5.高校生 ~帰国後・前半~

母が私と弟を連れて出て行くことを恐れた義父は、
お酒に溺れ、
息子(弟)を取られまいと南京錠をかけて部屋に監禁し、
母に暴力を振るうようになっていました。
当然のように警察も出動。
しかし、そんな中、
当時アメリカの高校受験の勉強しかしなかった私は、
一から公立の高校を受験し直なければならず、
必然的に1年留年。

合格発表の頃、家と家財道具一式が競売にかけられ、
家は買い手がつかずしばらく住めたようでしたが、
家財道具はみごとに何から何まで持って行かれた
今でも忘れられないのが、
私の唯一の楽しみであったピアノを持って行かれた日のこと。
そして、大きな家に取り残され、食べる物も無くなった頃、
母と私は義父に追い出された。

6.高校生~帰国後・後半~

また6畳二間の4人家族に戻った。
ほんの一年だけ。
直ぐに祖父母と母の関係が悪化し
小さなアパートで母と二人暮らしを始めることになったのだ。
それでも私にとっては、
生まれて初めて本当の親子だけの生活。
お金は無かったけれど(高校の学費は3年間アルバイトで賄う)
幸せを感じていた。

しかし、それも長くは続かなかった。
数ヶ月すると、新しい男性がアパートを出入りするようになり、
幻滅し反発した私は、家出を繰り返すようになる。

画像4

続く。






この記事が参加している募集

自己紹介

よろしければサポートお願いします♪サポート費は、今後のクリエイター活動に使用させて頂きます!