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"力み"をとるチカラ

今が見頃の藤の花を眺めにスタバに訪れる日が続く。通りにはさつきの花が美しい。何故だか子どもの頃はさつきの花が少しも好きではなかった。ひょっとしたら、そんな名前をした演歌歌手のために、見たかったテレビ番組を奪われたからかもしれない。

力む、ということについて考えていた。

「力まないで」という指導を受けたことは幾度もある。スポーツの類においてそうであるし、演劇や合気道といったことにおいても、真剣に取り組もうとすればするほど、気づくと力みがはいるようなのだ。気合いとともにぎゅっと籠るチカラ。パワーを発揮しようと思って、かえってパワーが使いにくくなるという不可思議。

そしてこの「力みをとるチカラ」というのが、私たちが掴み取ろうとしている感覚なのではないか、とふと考え、ノートにそれをメモした。

「力づく」は力みを強くする。力みをほぐすのは、固執せずに、くつろぎ、委ねる。ただ自分のコアにあるものを感じ、信頼する。そんなチカラなのではないか。

力みをとるためには、力みが抜けるとはどういうことか、をいう感覚を、まずは実感する必要がある。「ああ、こういうことをいうのか・・・」という感触を。

そしてその感覚を得るために、力んだ時に、そのことに気づき、その緩め方を知るように、身体とよく対話する必要がある。

その上で「力みのとりかた」をわかちあうってどういうことだろう?と、ほぐれたこころで考えてみるのだ。

「力みをとって」とよく指導されるけれど、なかなかわからないのだよね。「力んじゃいけないんだ」と思って、さらに固くなったりもする。

「力みのほぐれたところで発揮される、おおらかな強さ」。これはいくら言葉で説明されても触れない。その体験が訪れる瞬間に気づけば足を踏み入れているような。「ああ、これ?」っていう感覚を、共に楽しめるような「あそび」をつくっていくんだ。

あそび = ゆとりのあるさま。

そんなことを考えながらの、NVC体験記。

「わかちあいに、力を」。そんな言葉も、NVCらしいことかもしれないね。