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NVCから考える「わかちあいの地平」


「いのちの授業」 あなたならどのように紡ぎますか?

先日「いのちの授業」を伝えている 一般社団法人リヴオンの 尾角光美(てるみん)さんと対談をしました。リヴオンはグリーフケアという、喪失に伴う痛みに心を寄せる活動に長年取り組んでいらっしゃる団体です。

リヴオンは現在、"「子どもの自殺予防教育」と「自殺により死別経験した子へのサポート」両輪で届ける"というテーマでクラウドファンディングを展開して、今日(4/15)が最終日です。

リヴオンで伝えている「いのちの授業」を体験できる動画をみて、授業を擬似体験しました。

この授業をはじまるにあたっての場の設定、誰もがどんな気持ちももっていいんだ・・という感覚でいられることを配慮した言葉の紡ぎ方。そんなあり方から感じるものが多くありました。それは「私の中に確かにあるもの」へと意識をむかわせてくれる、とてもあたたかく力強いガイドでした。

てるみんから「こまきさん(今井麻希子)が自殺予防教育としての「いのちの授業」をつくるとしたら?」という問いをいただきました。

私は、自分が専門とするNVCというものがおのずと(いのちとともにあること)を感じるものであるならば、それを構成しているものとはなんなのだろう・・・ということに、関心を向けています。

そうであるものと、それとは違うものとしての「NVC」をめぐる体験がある。その僅かなようでいて大きな違いはどこにあるのだろうかということに。

授業の中で触れられていた「いのちは大切に」と「あなたは大切」という、一見似ていて非なるものたちにも通じるものかもしれません。

こころ惹かれる「問い」を探して

人が尊厳をもって生きつづけることができる社会とはなにか。そのために私たちが喜びからできることを、どのように見出しあうことができるだろう。そんな問いと向き合っています。

そのような思いから、てるみんさんのように、活動を積み重ねているひとたちの生身の声に触れてゆきたい。そこから紡がれる言葉の質を感じ取りたい、という気持ちがとても強くあるのです。

大切なことを、大切に思う人たちに届けるために、何ができるだろうか。あるいは、ともすれば、理解を共有することなんて難しいかもしれないと思える人たちの間にも、こころの通いあう関係をつくるために何ができるのかと、真摯にむきあいつづける方々への敬意があり、 そういった姿勢の中に、自分がみたい希望の姿を感じるのです。

NVCそのものを「学ぶ」だけでは実感できないかもしれない「何か」。そういったことも含めたところに「NVCをわかちあう」があるのではないか。

知っている人が上(すぐれてる)、知らない人がした(未熟)といった捉え方に代わる視点がたちあがるような空間をつくるとはどういうことか。

そんなことに、関心を寄せつつ、こころの声に耳を澄ますこの頃です。

次のNVC未来ダイアローグの企画、現在準備中で、まもなくリリースできる予定です。言葉を交わすこと、こころにそっと触れてゆくこと。それもまた、「いのちとともにある」未来を紡ぐ力となるはず。そう信じています。