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㉕Amanda(アマンダ)のこと

アスコット

夫の駐在で20余年勤めた職場を退職し、足掛け5年ロンドンに暮らしました。

冒頭のこの写真は、アスコット・ホースレース
夫の取引先から招待された時のものです。
女王様の馬に50ポンド賭けましたが、見事にすってしまいました。(笑)

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でも、これはロンドン生活のハレとケでいうと、かなりハレの部分で
むしろ、ジーパン姿で図書館やカフェで課題をやっていた時間が半分以上でした。

今にして思うと、特に準備してきたわけでもないのに
よく修士課程など受けようなどと、思いついたものですが、
「こんなに勉強に集中できるのは、人生最後のチャンス」、と
自分を追い込んで、2年間学生生活を送りました。

2年目は応用言語学の単位もとっていましたので、
欲張ったことに、相乗効果を期待して、
日本企業の現地社員向けの派遣日本語講師(主にビジネス日本語担当)としても働き始めました。

夫は私のことを「ドン・キホーテ」とあきれていましたが、
特に反対することもなく、
会社関係の社交に私が貢献することを期待する人ではなかったのは
私にとっては幸運でした。

毎日の送り迎えを要する子供がいるわけでもなかったので、
日本人同士のお付き合いもそれなりに維持しつつ
時間はなんとかやりくりできました。

さはさりながら、修論提出前の一か月は平均睡眠時間2時間で、
円形脱毛症にはなるわ、肺炎にはなるわ、
正に満身創痍、もうあんなことは二度とできないでしょう。(笑)

と言っても、私が若い頃からいつも前向きに時間を使っていたわけではなく、
振り返ると穴がなかったら自ら掘って入りたくなるくらいもったいない時間の過ごし方をしていたので、
その後悔を後半人生でしたくないというのがエネルギーになっていたように思います。

欧米の大学は入るのは比較的楽でも卒業が大変だと聞いていました。

貯金から大枚はたいて学費を出したのと、準備不足から
かなりの緊張とプレッシャーで臨んだ学生生活でしたが、
一年目のクラスにアマンダという、一人だけちょっと年上の女性がいて
(あ、それを言うなら私も2番手をいってました!笑)彼女のおかげで、思いのほか、スムーズに環境に溶け込むことができました。

彼女は若い頃、学生結婚をし、二人の娘を育てる為
修士課程を中断し、母としての生活を優先して過ごしていました。
そんな中、ご主人が突然他界し、
父親と母親一人二役で一家を支えなければならず、
大学院にもどれたのは、
結局娘さん二人が成人してからになってしまいました。

また一からやり直し、というタイミングで、私は
彼女とクラスメートとして出会ったわけです。

もちろん、20代30代の他のクラスメートとも
授業の合間にカフェで課題のリソースの取り方を相談に乗ってもらったり、
パブでビールを飲みながら、とりとめのない話をしたり、
という学生生活も謳歌しましたが、

アマンダとも、彼女のノートをコピーさせてもらったり、
授業の合間にプライベートな話を大学内のカフェでしたり、
一緒の時間を過ごし、本当にありがたく心強い存在でした。

卒業後の目的が明確で、その後の職への必須条件として修士を取る人が
大方を占めるロンドン大学で
純粋に、向学心でここまで頑張れる彼女が身近にいたのは、
非常にラッキーでした。

結局、今度は家族の介護問題が起き、
彼女の卒業は私達より一年遅れになりました。

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写真は、彼女と、
もう一人仕事の都合で卒業を一年遅らせたクラスメートに
お祝いをするため、
引っ越し先のパリからユーロスターで駆け付けた時のものです。

その後、彼女は50歳を過ぎて望んでいた仕事にキャリアアップして、
その仕事先で現在の伴侶を見つけ、
娘さん二人の心からの祝福を得て、再婚しました。

結婚式にも呼ばれていたのですが、
都合で参列できなかったのはとても残念でした。

大学の図書館で知り合い、参考文献を一緒に考えてくれた当時50代後半だった博識のEric、
アーティストでありジャーナリストでもあり、リソース読解の補講をしてくれたValerie、
包容力にあふれ毎回セッションが楽しみだった修論の指導教官をしてくれたRobin、、、

現在も頻繁にコンタクトがとれているわけではないけれど、
彼らを思い出すときに、やはり笑顔が真っ先に浮かんできます。

チャーミングなミドルエイジの友人達との時間が
今の私の時間の過ごし方に
大きな影響を与えてくれているのは間違いありません。

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