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小声コラム#31 夜中のアイス きまりが悪い

大人って "なる" ものではなく、 "ならざるをえない" ものなんじゃないかと近頃よく思う。
いや、違うな。ならざるをえないこと なんてありえない。ならないという選択だってできる。でもなんだか、このままではダメなんじゃない?と神様に言われているように感じる瞬間が増えてきた。それは、夜中ふとコンビニにおもむいてアイスをどれにしようかと迷っている瞬間だったり、その場の無言を回避するために楽しくも嬉しくもないけどヤッター!と口にする瞬間だったりする。

ここから先は、大人って、なに?という、よくありがちな疑問への回答が必要になる。でもそんな定義ごっこをするつもりはない。大人になるってなんなのかわからないけど、このままじゃなんかきまりが悪いなぁと些細でも感じるとき、はっきりと意識にはなかったとしても、少しずつでも確実に変わっていくことなのではないかと思った。その変化は絶対だ。なぜなら、誰かに指摘されるわけでないのにそう思っているから。神様の声だとしても脳内で声が再生されることは、自分が既に動き出している証拠だ。

ここまで書いてあれだけど、その声を天啓だなんて本当は思っていない。
なんかきまりが悪いなと思うのは、たぶん、無意識に社会を取り込んだ自分自身だ。同世代の人たちが結婚したり、役職についたり、大きな仕事を完遂したり、そういった類の社会を想像ではなく体感するようになった。そこから生まれた新しい自分のせいだ。大人自我とでも言うべきものだろうか。
そんなことは関係ない!自分は自分だ!と言う人も当然いるだろう。それは強さだと思う(真実に限ってだが)。でも自分は自分だ!と思った時点で、それはもう今までの自分じゃないのだろう。ややこしくなってしまった。

かなり強引にまとめると"大人にならざるをえない"というのは、強制追加された社会のなかで歳を重ねると、自分以外の関係が起点となって揺らぎが発生する仕組みになっていて、その揺らぎこそが大人になること。という意味だ。(まとまらなかった)

長々と書いてしまったが、なぜこんなことを書くのかというと。
夜中にコンビニのアイス選んでいる自分がきまり悪いなぁと思うことが非常に面倒くさかったので、それは社会だから仕方ないってことで完結させて、ならざるをえないと理解した上で、これからもチョコモナカジャンボ食べちゃうぞ ということにするためである。


#31  夜中のアイス きまりが悪い


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