見出し画像

ミラン・クンデラ「不滅」感想/私の中にもある「不滅」の話

読書の楽しみのひとつに「難解な本を読み切る」というのがある。

たとえば言葉遣い、プロットの複雑さ、求められる前提知識の高さにより筋を追うことすら困難な本がある。そんな本に出会い、とっつきづらさに食らいつき、諦めずに最終ページにたどり着いた瞬間、まるで苦労して山の頂にたどり着いたような、そんな心持ちがする。
私にとって、ミラン・クンデラというチェコの作家の「存在の耐えられない軽さ」という小説が、久々の「それ」だった。筋を忘れないようにメモをしながら、唐突に引用される数々の歴史的事柄、哲学や文学について、調べ、書き留めながら何とか読み進めると、その最終ページには、何にも代えがたい、心地よい達成感があった。
その達成感をもう一度味わいたいと思い、もう一冊、この作者の本を読むことにした。タイトルは「不滅」。題名からしてとても、手ごわい本だった。

物語の始まりはこうだ。
スポーツクラブのプールサイドで、「私」は60代の女性が若いコーチと水泳練習をするのを目に止める。そして練習後、彼女が、彼女の年からぬ仕草でプールサイドを去ったこと~肩越しに振り返ってコーチに手で合図する~に興味を抱き、そしてそこから「私」は勝手にその女性を「アニェス」と名づけ、アニェスのもう少し若い頃の人生を夢想する。

物語、といっても、アニェスとその夫、そしてアニェスの妹との重苦しい、緊張感のある関係性に関する話と並行し、19世紀の世界的に有名なドイツの詩人ゲーテと、彼に付き纏っていた36歳年下のベッティーナの話~こちらは言うなればコメディだ~、またゲーテと、銃身自殺を遂げた20世紀のアメリカの文豪、ヘミングウェイの対話が繰り広げられる。
そして物語の中で「私」が読者に向かって話しかけ、これから起きるストーリーの前振りをしたり、最後は「私」が登場人物と言葉を交わしたり、とにかく色々なことが、一冊の中で、縦横無尽に起こる。
そして更に物語だけではなく、善と悪は相対的ではないか(ヒトラーを熱狂して迎え入れたドイツ国民にとって、ヒトラーは当時限りなく善だった)、現在はイデオロギーでなくイマオロジー(作者の造語で、雰囲気やイメージで行動の意思決定がなされること)の時代ではないか、などの、作者である「私」の思想についても物語の途中にふいに述べられ、そんな物語と思想が交互に絡みあい、一冊の本の中身として調和していることがとにかく見事で、そしてそれを何とか読み解けていることが読んでいる最中、とても嬉しかった。

文章でこんなことが表現できるのか、いや、文章だからこそこんな表現ができるのか、とビックリし、愉快に思い、そして最後まで読んだ暁には、達成感の他にも、まるで一流のミュージカルをハシゴして夜通し鑑賞したような、そんな気持ちまでついてきた。
そして一回読んだだけでは十分に理解しえた、なんて到底思えず、これからきっと何度も読み返し、そして読み直すたびにきっと、新たな発見があるんだろう、とも。

今回敢えてひとつ、「不滅」の中で特に印象に残った話をあげるなら、私は冒頭の「仕草」に纏わる作者の思考を紹介したい。
イギリスの生物学者、チャールズ・ドーキンスは「利己的な遺伝子」という本の中で人間とは遺伝子の乗り物にすぎない、という説を展開し世界に衝撃を与えたけれど、クンデラは「仕草」こそが人間を利用する、人間は「仕草」の道具であり化身なのではないか、そんな風に「仕草」を考えてみせる。そして物語の中の「私」がインスピレーションを得た「背中越しに振り返って手を挙げる仕草」はまるでその説を証明するかのように、物語のあちこちで、幾度となく再現される。

私はクンデラのいう「仕草」こそ時空を越えて、伝承されていく〜それは不滅〜という考え方がとても気に入った。この物語の中ではゲーテもヘミングウェイも、肉体は滅びたのにふたりの功績が後世に面白おかしく留まってしまう、そんな「不滅」を嘆くのだけれど、多くの人にとって、できれば己と、そして愛する人は「不滅」であって欲しいと願う対象なのだと思う。
クンデラの思想に則り「仕草」こそ継承されるものだとすると、私のパートナーにもまだ3歳になったばかりの子にも、ちょっとした、だけど特徴的な仕草があって、そしてそれは確かに他人の中にも今までも、そしてこれからも、目にする機会が多くあるものだと感じて、はっとした。
たとえば27歳で死んでしまった私の大切な友人のこと。彼女は時々妙な手遊びをしていて、それを今、私がふと思い出して再現した時、それは彼女の一部は「不滅」であると考えることができるのかもしれない。
だからだろう、物語中で亡くなった人物のその特徴的な仕草が別の人物によって再現された時、それは何だかとても、私にはとても、温かく感じた。

冒頭で紹介した、肩越しに振り返って手を振る仕草を自分でも試してみる時に、自分の中にも小説から「不滅」が引き継がれる。そしてきっと、仕草のほかにも、私たちは、自分の中に「不滅」を内在している。肉体上の死とは思っているより軽いのかもしれない。そんな世界の捉え方を知れただけで、この本を読んでよかった、そう思う。


この記事が参加している募集

人生を変えた一冊

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?