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7/100 J.D.サリンジャー著「バナナフィッシュにうってつけの日」/それはいつも突然と

先日の夕方、ものすごい倦怠感に襲われた。20分横になろうと思ったら寝てしまい、起きたら2時間近く経っていた。その晩も気絶するように寝たのに朝起きてもどうもスッキリせず、やる気も湧かず、その翌日は午後から半休をとった。
思えば今年の1月から武漢の状況に神経を尖らせ、気を張っていた。それがここのところ感染者数が激減した事で私の中での警戒モードが解け、それで気が抜けたように思う。

今の精神状況、何かに似ていると思ったら、離婚した時だ。あの時も直後は割と平然、むしろスッキリしていたと思っていたけれど、数ヶ月経ってから短いスパンで何度か高熱を出した。
神経を張り詰めた後というのは、何かしら揺り戻しがくる。そんな時に自分の疲れを客観的に捉えることができ、それを労れると深刻な不調に陥らずすむ。今回はこのままじゃまずいと午後半休をとって、ずっと我慢していたマッサージに行った事で、何とか持ち直した。渦中にいる時は案外平気、ただその後にどっと精神と肉体に負荷がかかる。この事についてはさまざまな作品で取り上げられているし、肉親や親しい人の死に直面して経験がある人も少なくないのではないかと思う。

今回この感情を残しておきたい、何がぴったり当てはまるのだろう?と数日考えたのだけれど、心当たるものが多すぎて選びきれず、ただ一番極端だし一生忘れないんだろうなあというところを書き留めておく。


「それでね、先生が言うにはね、そもそも陸軍があの人を退院させたのが完全は犯罪行為というものだって、そう言うんですってー嘘じゃないのよ。シーモアは完全に自制力を失ってしまう可能性があるって、先生はお父様にはっきりそうおっしゃったんですって。」
(中略)
「彼はね、浜でただ寝そべってるだけよ。バスローブを脱ごうともしないのよ」
(中略)
そしてツイン・ベッドのふさがっていないほうのところへ歩いて行って腰を下ろすと、女を見やり、拳銃の狙いを定め、自分の右のこめかみを撃ち抜いた。
D・Sサリンジャー著「バナナフィッシュにうってつけの日」

近しい人が自ら命を断つような出来事に遭遇した人は誰しもが自分の行動を振り返り、何かできる事はなかったのかと悔やむ。だけど現実はそのトリガーは、不発弾のように埋まっていて、それがある日突然暴発する。

その可能性はきっといつも、自分の中にもある。

できれば死ぬまで「バナナフィッシュにうってつけの日」とは決してシンクロしないで起きたい、そんな心持ち。

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