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加藤周一「羊の歌」/「知の巨匠」が巨匠じゃなかった頃のこと

加藤周一さんの文章は、大学入試の過去問や模試でよく取り上げられるから、多くの人が、一度は目にしたことがあるように思う。たとえば「日本文学史序説」、たとえば「日本文化における時間と空間」、だからてっきり日本の文学や文化について長年研究していた方だと思い込んでいた。
今回友人から薦められ、加藤周一さんの自伝エッセイ(ご本人は生前、これは小説と言っていたそうだ)「羊の歌」を手に取り、実は長年医師をされていたことを知った。また今では「知の巨匠」「戦後日本最大の知識人」と言われる加藤周一さんの「巨匠」じゃなかった頃の人生を、まるで自分の事のように追体験し、そしてその後に晩年の著作を読み、胸がいっぱいになった。

「羊の歌」は、1919年生まれの加藤周一さんが生まれてから1945年までにあった出来事とその所感を綴ったものだ。
読み始めた当初は、渋谷生まれ・渋谷育ちだった幼少の頃の作者ゆかりの場所は渋谷に住んで6年目の私にはとても身近な場所ばかりで(たとえば作者が幼少時代に多く時間を過した金王八幡宮は、私が渋谷の会社に勤めていた頃にお昼休みによく行った場所、「屋台街」と作者が言う渋谷道玄坂は、今でも飲み会などでおなじみの場所だ)、そんな今の見知っている場所の戦前の話がとても興味深かった。
そして二・二六事件、第二次世界大戦開戦、東京大空襲と、歴史上の、誰もが知る出来事とセットで、作者の半生が綴られるにつれ、未だかつて考えたことのない視点からの「戦争」に深く深く、考えさせられた。
これまでの私の戦争に関しての見聞というのは、「はだしのゲン」「火垂るの墓」「この時代の片隅に」といった、市井の人が空襲や原爆に翻弄される、まるで天災のような視点のものばかりだったのだけれど、「羊の歌」を読むと、日本人の深く考えずに強きに与したり、責任の所在が曖昧なままでも良しとしたり、そんな今でも心当たりがある性質も、禍いの元だったことが分かる。
第二次世界大戦について、作者は開戦当初から「勝ち目はない」と考えていた。そしてようやく1945年8月15日、ようやく作者が願って止まなかった降伏宣言がなされたのだけど、そうなって心底嬉しい気持ちと、なんでこんなことになったんだという途方もない怒り、そんな作者の胸の内を、この本を通し、追体験し、その体験が私にはとても印象的だった。

そして今回この本を取り上げたい、と思ったのはそれだけではなく、「戦争」を当時の大人の視点で追体験するという尊さ以上に、作者が長年抱いていたコンプレックスに、意外さと親近感を持ったからだ。

日常生活では、親しい一人の女さえも知らなかった。女については、わいせつな妄想を抱くと同時に、他方では途方もない憧れを抱いていて、そのどちらも現実の女の前では~たとえ喫茶店の娘の前でさえも、全く役にたたなかった。
臆病で、自尊心が高く、話しかけようとしても途方にくれるほど女の扱いを知らず、女たちからは相手にされなかったので、激しい劣等感を抱いていた。
加藤周一「羊の歌」
私はそれまで、外国の本を字引と相談しながら途方もない時間をかけて読むものと心得ていたから、それほど気軽に小説を読みとばす人がいることに、全くおどろいた。なるほどそういうこともできるのか、現にそうしている人がいる以上、そこまで行かなければ、外国文学の話をするにも不足ということか、と私はあらためてそのときに考えた。
加藤周一「羊の歌」
その頃の私は小説を書こうとしていて、長い時間を無為のうちに過ごしていた。しかし私が小説だと考えていた形式に適しい話の内容は、私の経験のなかにはなかった。私は女に惚れたこともなかったし、従って裏切られたこともなかった。(中略)それにも拘わらず、私は無理に小説らしいものをつくりあげようとしながら、私の感動と経験と、つくろうとしていた小説の世界とのいちじるしいくいちがいを、次第に鋭く感じ始めていた。
加藤周一「羊の歌」
私はそれまで若い女が私に好意をもつはずはないと確信していた。またその確信を支えるのに、容貌風姿が見栄えせず、態度がいかにも無愛想で、みずから婦人の注意をひくに足りる何らの長所がないというにがにがしい反省もしていた。
加藤周一「羊の歌」


「羊の歌」とそれに続く「続・羊の歌」を読了後に手に取った、作者の晩年のエッセイ「夕陽妄語」には、「羊の歌」の文間に漂う、どこか少し自信のない、自虐的な、そんな雰囲気は皆無だ。もし理解できないのなら、それは読む側の不勉強と言わんばかりに、正義とは何か、責任とは何か、そんな具合に、各国の紛争に対する日本を含む各国の対応をまっすぐに批判し、そしてあるべき姿を論じている。
その圧倒的な「知の巨匠」ぶりを文字を通して感じ、ただそんな作者も若かりし頃は他人に対し劣等感を抱き、自分を不甲斐なく思い、そして色々と苦悩を感じていたんだな、と思うと、まったく作者とは交わらない人生を送っていると思っていた私も案外、これから作者と地続きのところにいけるのかもしれない、とそんな風に考えられた。

誰だって、「知の巨匠」だって、劣等感や無力感を抱くことはあるのだ。それに対し、どう向き合うか、立ち向かっていくか、で、人生は変わる。それが「知の巨匠」がみせてくれた、何にも代えがたい、頼もしい背中。それをみせてくれる「羊の歌」、ぜひ多くの人が手にとったらいい、そんな風に思う。


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