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2021/7/23 オリンピック開催、おめでとう

オリンピックの開会式を生まれて初めて、最初から最後まで観た。やるのかやらないのか、やるとしても開会式はするのかしないのか。報道やSNSの意見をみながらずっと考えていたのは、数年前から何だかんだ準備していた友人達のことで、その頑張りが報いますように、ということだった。

2020年3月24日、1年の延期が決まるまで、関係者達は臨戦態勢だった。開催時期が1年延期されたことで、オリンピックの後にたとえば結婚を、たとえば転職を、たとえば妊活を、と考えていた関係者は予定が狂い、その何人かは延期を見届けない決断をした。

延期してもやる、と決めた関係者達は事の動向を見守りながら1年後の準備をはじめた。本格的にやる、となってからも、中止を希望する声が大きく、裏方の醜聞も続き、コロナさえなかったら「オリンピックの仕事してるの?すごい!」と羨ましがられたはずなのに、関わっていることを隠したくなるような、そんな局面ばかりが続いていた。

開会式を見届けてほっとした。そしてどうかトラブルなく大会が終了して、関係者達が特筆すべき経歴として「オリンピックに関わってました」と職務経歴書に書けるように、ということを今、めちゃくちゃ願っている。

オリンピックをするために色々なことが犠牲になったのは承知している。開催することでコロナが拡大するリスクを分かっている。オリンピック運営をする側の人選やら言動やらに問題があるのも感じる。それでもなお、つつがなくできればいいな、というこの感情。私の中にあるのは、自分の身の回りの人が損な役回りになりませんように、ということだけだなあと思う。

他人の意見を尊重しましょう、という時、まるで話し合えば分かり合えるような幻想を抱きがちだけど、実際は今回のように、開催したい誰かの意見は尊重され、そうではない誰かの意見は尊重されない。皆の意見を尊重しました、は大抵の場合詭弁でしかなく、少なくとも今回は、反対の声をあげた人は尊重されなかった。

思い出したのは、ブロードウェイミュージカルの「ウィキッド」だ。ぬれぎぬを着せられ、国を追われる立場になった魔女、エルファバ。そんなエルファバと友達のグリンダは、エルファバのことを大切に思いながら、表立ってかばうことはせず、一緒に戦おうという申し出も断り、彼女を逃した後、こう宣言する。

「悪い魔女、ウィキッド(エルファバ)は死にました」

国民は大喜び。そして彼女を倒したことになった偉大な魔女、グリンダを讃える。

誰かの意見を尊重しないなら、せめてグリンダのようでありたいと思う。舞台の最後、グリンダの顔は決してはればれとはしていなかった。

みなが同じ意見はありえない。立場も見えている景色も全然違うから、同じ方向をみることもできない。唯一できることは、尊重されなかった側の痛みを感じること、そして自分も時に尊重されないことを受け入れることなのだと思う。

オリンピック開催、おめでとう。





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