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世阿弥「風姿花伝」(1400)「花鏡」(1428)/この先の人生、ただただ向上進歩するのみ

2022、仕事初め。12月23日からほぼ会社PC開かず、だったので、頭に入っていたはずの曜日毎のなんとなくのスケジュールがしっくりこない。
頭が働くようになるまでの作業として、12月のランチ代の請求書(弊社はランチ代の補助が出る)をひたすら社内の経理システムに入力して、少しづつ勘を取り戻す。
4歳から18歳までずっとバイオリンを習っていた。先生から口酸っぱく言われていたのは、1日練習を休むと取り戻すのに3日かかる、2日休むと取り戻すのに1週間、ということ。
その時は何と大げさな、と思っていたけれど、実際に仕事からしばらく離れてしまうと、取り戻すのに時間がかかるのは、そういえば産休から復帰した時もそうだった。

世阿弥の残した「風姿花伝」は能の秘伝書。子役の成長の段階で何を教えるのかやらせるのか、などの役者の教育方法や、老人を演じるには、なんて演技の秘訣が書いてある。読んでびっくりするのは、そこで言われていることがちっとも古臭くないことで、それこそNewsPicksあたりでインタビュー風に仕立てられたら、今でもバズりそう、そんなことを考えながら読んだ。

まづ、仮令も、年寄りの心には、なにごとも若くしたがるものなり。さりながら、力なく、五体も重く、耳も遠ければ、心はゆけども、振舞のかなはぬなり。この理を知ること、真のものまねなり。

(年寄りというのは、何事も若くしたいんです。年をとってくると、体も重く、耳も遠くなる、心は若くても、ふるまいがついていかない。だからこそ若々しくありたいんです。その気持ちを理解することが年寄りを演じるということです。)
※年寄りの演技は若作りでやるべきという章のその理由

世阿弥「風姿花伝」

有名な「秘すれば花」の記載がある、いかに人を惹きつけるか、について書かれた章も、そのまま21世紀のマーケティングにも使えそうな。620 年あまりの時をこえて通じる手法ってすごい。それを言語化した世阿弥の言うことを、私は無条件に信じられると思った。

時間を置かずに読んだ、同じく世阿弥の「花鏡」には、こんなことが書いてある。

一期、初心を忘れずして過ぐれば、上がる位を入舞にして、遂に能下がらず。しかれば、能の奥を見せずして、生涯を暮らすを、当流の奥義、子孫庭訓の秘伝とす。

(一生涯を通じて、常に初心ということを忘れる事なくしてやってゆけば、芸はただただ向上進歩するのみ、決して能が退歩するなどない。芸能向上の行き止まりを他人に見られないで生きることが、我が流義の奥儀であり、子孫教育の秘伝である)

世阿弥「花鏡」

2022、40代も今年は折り返しに差し掛かる。これから先もただただ向上するのみ、初心を忘れなければ、という世阿弥先生の秘伝に心が踊る。ただし初心を忘れなければ。


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