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サピエンス全史/「「まじめ」はダサい」からの卒業

小さい頃から本が好きだった。特に哲学や文化人類学的な観点で「人間とは何か」「何故人間だけが知性を手に入れたのか」について考えるキッカケをくれる本が好きだった。

「人間とは何か」は古代ギリシャの時代から、それは多くの人が考え抜いてきたテーマ。なのに未だに明快な答えがないってすごくないだろうか。
身体的に決して優れているとはいえないヒトという動物。それが何故、現在食物連鎖の頂点に君臨しているかって不思議ではないだろうか。
そんな謎にヒントをくれる本が私は好きだった。そしてそれらをいつもワクワクして読む、そんな青春時代だった。

一方で思春期の私は「リア充」であることも、とても重要視していた。いつも人の輪の中にいて、恋愛やイベントごとを最大限楽しみたいと思っていた。
ここで一点問題がある。「リア充」の世界では、概して「まじめはダサい」。だから「人間とは何か」なんて話を、リア充活動中に口にすることはなかった。それよりももっとライトな話題、たとえば最近みた映画、や面白かった漫画、時には下世話な話でもいい、を自ら進んで口にした。
そしていつからかリア充活動に勤しみすぎて、昔のように「人間とは何か」と向き合うことがずいぶん少なくなった。

そんな状況が変わり始めたのは、ついここ最近のことだ。投資について調べていた今の恋人は、経済に影響を与える、という観点で政治に興味を持った。そしてその流れで歴史にも興味を持つようになり、産業革命が起きた後にどのような変化が社会に起こったか、だったり、共産主義は何故失敗したのか、だったり、そんな話を彼とする機会がとても増えた。
そして株式会社コルクが主宰する「コルクラボ」に入った。ラボの中でも宗教のはじまりだったり、モダニズムからポストモダニズムの変遷だったり、そういった話のできる人が見つかった。

そんな中手に取った「サピエンス全史」。人間の歴史を20万年前から振り返るという、壮大なスケールの本だ。

昔はもっとヒト科の動物がいたこと。
農耕民族より狩猟民族の方が、実は栄養状態がよかったこと。
アメリカの独立宣言は神話という見方もできること。
アメリカ大陸の発見が、見知っていることが全てではないと考える近代化の基礎になったこと。
宗教と会社という概念は近しいということ。

筆者が明らかにする、または主張する説のひとつひとつが、なんとワクワクすることか。ところどころ冗長な箇所はあるにせよ、それでも最近読んだ本の中でもピカイチの面白さ。連休中に一気に読みきった。

日ごろ意識するのは、東京に住んでいて、駆け出しのライターである、アラフォーの自分。だけど視点を広げると自分はホモ・サピエンスというヒト科の動物だ。この動物は、ここ20万年の歴史の中で、一番平和に暮らしているようにみえる。いったいそれは何故なのか、または果たしてそれは真実なのか。

やっぱり「人間とは何か」を考えるのは面白い。

思うに「まじめがダサい」はただの呪いだった。真の「リア充」とは、自分のやりたいことを思う存分にやれる人のことだ。「「まじめ」がダサい」のではなく、「「まじめ」をダサい」と感じている自分が、むしろとてもダサかった。

「サピエンス全史」の後は、ルロワ=グーレンの「身ぶりと言葉」という本を久しぶりに読み返すことにした。これは「身ぶり」と「言葉」から人類の進化の本質に迫る本。高校の時に読んで感動した。「サピエンス全史」が好きな人は絶対に楽しめる超良書。ぜひ機会があったら、そっちも読んでみてほしい。

まじめ、万歳。

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