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結局人生ってなんだろう?

ビルばかりの景色から見えるもの

朝、子供たちを車で送迎する道すがら思った。

人生って結局なんなんだろう

今、目の前に見えているのは、そびえ立つマンションマンションマンションマンションマンション、眼科、医院、仏教用品店、小さな商店、コンビニ、幼稚園、パン屋さん… 街中に住んでいるので建物だらけだ。

私たちの街を構成しているのは、結局、「暮らす」ための店たちだ。
「暮らす」ためのマンション、病院、商店、食堂、コンビニ、クリーニング、八百屋、車整備店、幼稚園、役所…

「暮らす」ために生きている。
「より便利により良く暮らすため」にいろんな店が軒を連ねる。
「それら」が街を構成している。
「そこ」で私たちは働いている。

なんのために勉強する?ー子供たちー

ここでは小学生時代から各種塾に通って勉強漬けの日々だ。
遊ぶ時間を削って、机に座って勉強して、鉛筆を走らせて…

なんのために?

「いい大学」、「いい職場」に入るためだと言う。

良い大学、良い職場に入るために、小中高時代を費やす。
現在を未来のために生きる。
未来を見据えて未来のための「今」だ。

それでいいのかな?

結局、大人になって「いい職場」で就く仕事は、

お金の貸し借り屋さん(銀行)、商品を売るために色んな戦略や企画を考える仕事(商社)、面白いコンテンツを作ったり提供する仕事、快適なサービスを売る仕事、万が一のための保険を売る仕事

クリエイティブ系だと、何かをデザインする仕事、陶器を作る仕事、家やビルを建てる仕事、料理を作って提供する仕事、野菜を作って販売する仕事、病気を治す仕事

人に食事を作って提供する仕事、洋服や靴を売る仕事、笑いを提供する仕事
インターネットを使えるようにする仕事、スマートフォンを売る仕事、子供の世話をする仕事、老人の世話をする仕事、何かを教える仕事

たくさん他にもあるけど

結局、私たちは自分たちの暮らしを豊かにするために、パート分けして仕事をしている。

これらの職業がなかったら、すべて自分でしなければいけない。
とてつもなく不便だ。
だからこのように分業化した。人類の知恵だ。

人々の究極の目標はなんだろう?

人々の究極の目的は
「健康に幸せに豊かに生きること」ではないだろうか。

健康に幸せに食べられて着られて暮らせて
そうやって生きられることなんじゃないかな。

いい仕事に就いて、高額の商談を得て、
身をすり減らして働いて
そこそこ良い給料をもらって、
家賃を払い、食費、生活費をまかなう。
そうやってなんじゅうねん働いて、
老いて行き、時には病に倒れ、
終えていく。

だいたいの人がそのように生きている。

「生まれて生きて」は「営み」だ。
人生は「営み」だ。
いかに営むか」の違いだ。

できるならば、苦労はしたくない。金銭的にも肉体的にも。
だから勉強して準備する、し続けるのだ。

だけど、今、時代は多様化して、
どう転ぶかわからない。

もちろん安定した暮らしを求めて、準備(勉強)するのは悪くない。

だけど、なんでもないビデオを投稿して巨万の富を得る人もいる。
生き方は多種多様だ。

何事もトップになれば注目されるし報酬もそれに見合ったものが入ってくる。
だけど、だけどだ。

なんだか虚しいんだ。
そう考えるとなんだか虚しいんだ。

人生は自由に演じることが出来る舞台

こう考えてはどうだろう?

生まれて、生きて、地球という「舞台」を用意された私たち。
この地球という舞台で、「何をどう演じようが」自由だ。
「演者」であり「監督」でもあるのだ。自分は。

正しい答えなんてない。

宗教によって見解は異なるし、個人によって考えは変わる。

だから、なんていうか、
ただ、人生は自分に用意された自由な舞台なんだから、
この舞台で「何をどう演じるか」(どんな仕事をしどう生きるか)を自分で「選択」し、カスタマイズしていく面白さはあると思うんだ。

究極は生まれて死ぬのが人生なんだけど、
「種が芽吹いて咲いて枯れるまで」を「どういうエネルギーでどう生きるか」は、自分次第なんだ。
「どんな」人生という「どんな」「どのように」という修飾語の部分は自分次第なんだ。

わたしは生きる。
わたしは「どのように」生きる
わたしは「どんな」人生を生きる

それを設計して、描いて、形にしていくのが人生なんだけど、
きっと多くの人がこれらを考えずに、
なんとなく流されるがまま生きているからしんどいと思うんだ。

一度、自分の人生をどう生きるかを考える時間って必要なんじゃないかな。
自分に与えられた体、性質、能力、環境を考慮して、
自分は何をして生きていくのか、を考える。

だから、やみくもに「いい大学」「いい職場」を選ぶのではなく、
途中で「何をして生きたいか」を考える必要があると思うんだ。
その上で、「いい大学」「いい職場」が必要なら勉強して入ればいい。

人生をデザインする

人生デザインが欠けている現代。
小学生時代から何度も何度も人生をデザインし設計する必要があると私は思う。大人になっても何度も考えなおし、修正する。

ライフデザイン
どう生きるかという設計。
何をしたい?どう生きたい?
常に考える姿勢をくせづける。
やみくもに勉強しろではなく、なぜ勉強する?なんのため?どうなりたいから?を考えさせる。
将来役立つ基本のパワーを育てるのが義務教育。
とにかくそのラインはクリアしたい。だから義務教育は前向きにがんばろうよと伝えたい。この世界を生きる上で最低限必要な知識や語学を学べるからだ。
そして義務教育を円滑に受けてからの「どう生きたい?」かだ。
常に考えることが本人の人生を意味あるものに仕上げる。

考えることをしてこなかった大人世代は、今すぐにでもペンとノートを持って、もしくはパソコンの前に座って、考えるべきなんだ。
自分はどう生きたいのか?この地球でこの世界で何をしたいのか?を。

特別なものじゃなくてもいいんだ。
「ただ健やかに毎日小さな幸せを感じられるならどんな仕事でも構わない」
「有名人になって人々に影響を与えたい」
「人々に役立つ商品を開発して多くの人に喜んでもらいたい」
とにかく自分だけの考えを持つことが大事なんだ。

それをコーチするのが親であってほしいし先生であってほしいし自分であってほしい。
何がしたいの?どう生きたいの?を一緒に考えてあげる。

「今いる世界をより良い世界にみんなで創って行きましょう維持して行きましょう」ということだ。
そのためのもっと良い商品、もっと良いサービスなのだ。
そのための能力開発であり、スキルアップなのだ。

だけど、そのこころざしなく、やみくもに仕事をすると病んでしまうのだ。
なんのために生きてるのかわからなくなるのだ。

私の場合、
「こういう考えをnoteやyoutubeなどの媒体を通して発信すること」にも
喜びを感じ、魂がこれだと納得しているのを感じる。
それで収入になればいんだけど、すぐにならない場合は、ほかの仕事もやりながらだんだんシフトしていく方法もある。

100年後には誰もいない。
ほとんどの人たちは100年も生きられないだろう。
中には長生きする人もいるが少ないだろう。
だから何かをやりたくても躊躇する場合、人からこう思う思われたらどうしようという考えは、今すぐ捨てればいい。
怖さはあるだろう。怖さはいざぶち当たってみるとさほど怖くないものだ。
当たって砕けろだ。

Bさんの場合は、飲食店をチェーン展開して、おいしい料理を多くの人々に提供することを夢見て準備している。
それも素晴らしいだろう。

いろんな人がいるから多種多様な世界になって、
いろんなことを楽しめるのだ。
みんなが飲食店をやったら世界がおかしくなる。
飲食店に興味がある人、ファッションに興味がある人、計算することが得意な人…と多種多様だ。

自分サイズを知る

自分は経営者向きなのか、従業員向きなのか。
経営者でも一人商店もあれば、数十人、数百人、数千人規模の経営者もいる。それぞれサイズが違うのだ。

それを見極めることが大事だ。
最初はわからないだろう。いろんな経験をしてみてからわかるものだと思う。

リーダー気質なのか、従うのがラクなのか、
一人でコツコツと作業をするのが好きなのか、
人前でコミュニケーションをとって話をするのが好きなのか

「自分はどんな性質でどんなサイズなのかを知ること」も、
生き方、職業を選ぶにあたっての重要なポイントだ。

人々を統率するのが好きな人もいれば、
目立ちたくなく地道な作業を好む人もいる。
多種多様だ。

何かを研究するのが好きなのか、発表するのが好きなのか、開発するのが好きなのか、教えるのが好きなのか
何が得意なのか好きなのかを知ることが大事だ。

そんなプリントを作ってダウンロードもしくは書き込みできるようにしようかな。

この人生は一度きり。
次はあるかないか誰もわからない。
あるとしても、今の自分のこの人生は今回限りだ。


あなたはゲームの主人公であり映画の主役である


人生をゲームだという人もいる。

生まれた時点でゲームが開始され、死とともにゲームは終了。
RPGゲームのように能力を増やしていき、仲間も増えたり、アイテムが増えたりしてレベルアップしていく。途中で困難が待ち構えている。それに立ち向かい解決したり助け合っていく。

人生をゲームだと捉えてもいいし、
壮大な演劇や映画だと捉えてもいい。

とにかく主人公は自分自身だ。プレイするのも自分だ。
だからたまにはプレイヤー視点で俯瞰して人生を見ることも大事だ。

思い通り進んでいるか、不要なものは何か、改善すべきことは何かなど。Plan-Do-Checkが必要なのだ。

自分は何をするか?
どう生きるか?

一度ゆっくり考えてみてはいかがでしょうか。





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