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【恩師のことば】ワルツは1拍子

今まで出会ってきた先生が教えてくれた言葉の中でも、私の心でいつまでも色褪せないものをピックアップ。

10年お世話になったピアノのI先生について、ふらふらと思い出しています。


ピアノを初めて習ったのは小学1年生の時、某大手の個人レッスンコースだった。
が、1年と続かず辞めてしまった。

練習が嫌い、先生は嫌いではなかったけれど何となく合わないと感じていた。

その先生が異動するというので、「じゃあ」なんて言って辞めた。何が「じゃあ」なのか未だに自分でも分からない。

それでもピアノは好きだったから家で時々弾いていたし、何より教育熱心な母が悔しがっていた。

しばらくして母から、とある先生のレッスンを見に行こうと言われた。ママ友繋がりで知ったらしく、見に行ったのも私の同級生の家で行われるレッスンだった。小学3年生の秋だった。

ピアノの先生というのは――少なくとも子供のお教室レベルであれば――、皆優しいと思う。でも、そこで見たI先生は群を抜いて優しさが伝わってきた。

あ、楽しそう。

私の直観と母の思惑が見事にはまり、即決だった。


とにかく楽譜にスラーを書く先生だった。
スラーを粗削りに説明すると、複数の音符をまとめてた山なりの記号で、その中の音符を滑らかに弾くよう指示している。はずだ。

元の楽譜にもスラーはあるのだが、もう少し広めにスラーを書くことで、楽譜の中に似たようなフレーズが複数回続いているところに気づかせてくれた。

繰り返されるフレーズは、音量を上げれば盛り上がれるし、下げていけば終盤らしくまとまっていく。

運指が上手くなくたって、それを意識するだけでうんと曲らしくなった。


カンタービレを地を行く先生でもあった。

カンタービレとは「歌うように」という意味だが、文字通りメロディラインを歌ってくれたし、時々私にも歌うよう言った。

先生の美声を前にしてかなり恥ずかしかったが、やってみると音のまとまりや切れ目が感覚的に掴めた。


学校で伴奏をすると話したら、課題曲を止めて伴奏曲を見てくれた。ここでもやっぱりスラーをつけてくれた。

伴奏のレッスンで印象深かったのは、中学2年生の合唱コンクールで「君と見た海」を弾いた時だ。
(とても綺麗な曲なので、ぜひ検索してみてほしい)

先生に促されてまず自分の思うように弾いたところ、サビのリズムの取り方を優しく指摘された。最初は納得がいかなかったが、後々になって理解した。

先生の言っていたことは正しかったし、歌いやすいし、何より盛り上がるのだ。

実は同じ年に同じ曲を、部活の先輩も弾いていた。やはりというか、彼女は最初の私と同じリズムの取り方をしていた。

当時の私は自分の失策を棚に上げて「違うんだなぁ、それ」とか思っていた。実に意地悪で嫌な後輩だった。


選曲も上手な先生だった。

私にはドビュッシーやシューマンが合うとしきりに勧めてくれた。

当時の私はショパンの派手な曲に憧れて、身の丈に合わない「幻想即興曲」とか「華麗なる大円舞曲」とか、とにかく“そういう”系統を弾きたがった。

もちろん私が希望した以上弾かせてはくれたが、先生はなんだかんだと私をのせて、「アラベスク第1番」を練習させることに成功した。

ピアノを辞めて12年ほど経つ今、私が(練習は必要だが)まともに弾けるのは何を隠そうこの「アラベスク第1番」くらいだ。

リズム感がなさすぎて左手と右手が違う拍子でも難なく弾ける、私の特性を上手に活かしたセレクトだった。


一事が万事、I先生に教わったことは沢山ある。
あるのだが、後になって一番感動したのがタイトルにも選んだ「ワルツは1拍子」だ。

「華麗なる大円舞曲」と「子犬のワルツ」、どちらかを練習していた時だったと思う。

片手ずつ弾いたり、1小節ずつ弾いたりする段階を終えて、ようやくスピードを上げてきた時期だった。

先生が、3拍子の始めに一際大きいスタッカート(強調記号)を書き加えたのだ。

「ワルツは1拍子だから」と。

3拍子じゃないんですか?と私に聞かれるのが分かっていたのだろう、先生は実際に弾いて聞かせてくれた。

まずは3拍子。タン、タン、タン。タン、タン、タン。
うん、間違っていない。

次に1拍子。タン(タンタン)。タン(タンタン)。
あれ、3拍子を1つにまとめて弾くだけで、なんだか急にワルツっぽい。

いや、ワルツっぽいってなんだ?
1度も生のワルツを見たことがないくせに、なんで私はワルツっぽいと思ったんだろう。

先生はもう一度3拍子で弾いてくれた。タン、タン、タン。タン、タン、タン。
なんだか、最初に聞いた時よりも間が抜けている。

で、気づいた。

ワルツは回るダンスだ。
だから、くるりと1回転するのに曲が几帳面に3拍子を取っていれば、踊る側は1/3ずつ回る羽目になる。そんなの無理だしかっこ悪い。

その時はそこまで言語化できなかったが、逆にいうと、言語化せずとも理解できた。

なんでも言葉で説明を求める私を感覚的に理解させた時点で、I先生は相当ハイレベルな教育者だったと思う。

最終的に、あれだけ弾きたがったショパンのワルツはどれも、合格をもらうにはあまりにも情けない出来だった。

でも、同じ情けないレベルなら、1拍子にする方が断然かっこよかった。

自分自身の技術はさして変わっていないのに、こういう知識1つで上手に弾けた気分になるというのは毎度大きな発見だった。


それから大きく時を経て、たしか去年。

たくおんさんというピアノYoutuberの動画を見ていた時に、ふとその教えを思い出した。

プロのピアニストである彼がドイツ留学を体験するという企画で、大学の先生からレッスンを受ける場面(11:33~)があった。

先生の前でたくおんさんがショパンのワルツを美しく弾いた後、先生は立ち上がってこういった。(13:57~)

「ワルツの踊りはもちろん知ってる?ワルツ踊れるの?」

たくおんさんがぎこちなく踊って見せると、先生の手から懐かしい手拍子が聞こえた。

パン(パンパン)。パン(パンパン)。パン(パンパン)。

「大きな1拍の中で3拍子が鳴るイメージ」
「これじゃ踊れないよね」
「1拍ずつではなく小節で考えて!」

どれも10年以上前に言われたことばかりだった。

液晶に映っているのはドイツのおじいさんなのに、10年間最後まで年齢不詳だったあの美しいI先生が見えた気がした。

そのアドバイスの後に弾き直したたくおんさんの音はさっきよりもいっそう綺麗で、プロの人でさえも教えてもらうことがあるんだなあと思った。

思ったし、プロの人でさえ教わるようなことを10代の私はすでに教えてもらっていたんだと気づいた。

私は、その教えに応えられるレベルではなかったけれど、それだけ高い教育を受けていたのだ。

鳥肌が立った。


I先生のプライベートなことはほとんど知らない。
知っていたのは、独身で、ピアノと猫と生徒たちを心から愛していたことくらいだ。

車で30分以上かけて家まで来てくれるのに、月謝は7000円したかどうかだった。

発表会の参加費用も10000円こっきりだった。
それでいて会場のピアノはいつも年代物の上等品、生徒たちの合奏企画もあっていつも楽しかった。

夏休みは生徒たちが来れる時にI先生の家に集まって、それぞれ事前に練習していた連弾曲をその場に居合わせた生徒たちで弾いた。

譜読みがとことんできない私に合わせて、最初は必ず通しで弾いてくれた。
後に、やはりピアノの先生をしている友人に話したところ私の甘えっぷりに呆れられた。

そして先ほど書いた通り、10年習っても今では「アラベスク第1番」くらいしか弾けない。I先生にはひたすら申し訳ない。

だけど、I先生のレッスンは私の音楽観に深く残っている。何なら、尖っていた思春期当時よりも今の方がよほど影響されている。

あの時やたらにポップスをピアノで弾きたがっていた私が、今では「ピアノはクラシック、良くてジャズ。じゃないと耳が疲れる」なんて感じている。

速弾きはすごいけど、ここはゆったりとしてくれた方が余韻が出ると思うなあ……なんて、素人のくせに一丁前の好みまでできあがってしまった。

I先生でなくても、私はピアノを再開していたと思う。でも、技術だけじゃなく知識で上手くなる面白さは、きっと知らずにいた。それを知らなかったら、高校に入ってもきっとピアノを続けなかった。

直観を信じた9歳の私よ、グッジョブフォーエバー。

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