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データから答えを出すことと直観で答えが見えること。

先日のイベントで、AIと身体性の話もあった。

その中で気になったのが、「将棋のプロは一瞬でそれまでの経験値から答えを見つけている」という話。
MRIで詰将棋のときの脳の動きを調べたら、アマチュアの場合は答えに向かって考えていくのに、プロはまず最初に答えを見つけてから、その答えがあっているかを検証していくという。
使っている脳の場所も違うらしい。
(メモしてないから専門的なことは覚えてなくて曖昧だけど、そんな感じの話。)

そのプロの答えの見つけ方は、AIが過去データから答えを出すのと似ているのではないか?
そういう風にそれまでの経験値から答えが観えるのが直観だというなら、AIが直観をもっているというのと同じ?

話を聞いていたら似ていると思ったし、しくみ的に同じような気もするけど、でも個人的には同じな気がしない。

たとえば、人は、過去データも用いているけども、今この瞬間に自分が見聞きして感じたことから答えを出している。
AIってデータを取得して答えを出しているから、その答えは過去データから導かれていて、イマココを見ているのと違うはず。

でもそのデータが、今この瞬間に読み取ったものまでも分析できるようになったら?
目の前で起こっていることまですぐにデータとして取り込めるようになったら?
それだと、人が今感じて判断するということと何が違うのか?

という疑問を聞いてみたら、現に今でもAIにも身体性があるという人もいる、という話を聞いた。
今はテキストデータだけから答えを出しているし、画像データとか音声データとかほかのデータはテキストとは別に解析しているけど、未来にはその場で読み取ったデータも一緒に蓄積されそれらから答えが出せるようになるかもしれない。
そうなるとAIと人間が変わらないとなるかもしれない。
というような話。

そういう風に目の前のデータも読み取って判断するなら人間と同じとなってしまう、しかも人よりもより多くのことを読み取れるし多くのデータから判断できるからすごいってなりそうだ。
そうなりそうって思うけど、でもそれでもやっぱり一緒ではない気がするんだよなぁ、ともやっとしていた。

それで、後から考えてて思ったのが、普遍性、一般性のこと。
AIは普遍的な答え一般化した答えを出すもので、人はそれぞれの個別の答えを出すのが違う。


AIだと莫大なデータから正しそうな答えを導くのだけど、それは普遍的に正しそうなものってことだ。
逆に人だと、その人の持っている経験とその人がイマココで見聞きしたり感じたことから自分だけの答えを出す。
と書くとあたりまえなんだけど、普遍的で一般的なものが常に正しいわけではないのではないかと思う。

それは、インプットデータが正しくないとか足りてないことがあるから、って話ではなくて。
イマココでの答えは、その人の答えとして、その人とその人に関わる人の答えとして、そこにある経験だけから出されるのが「正しい」かもしれない。
セオリーと違っても理論的でなくても、今この場ではこうしたい!とかあるじゃん?
一般的でなくて逆張りしたい!とかあるじゃん?
頭ではこうするのが正しそうってわかるけどもそれはしっくりこないとかあるじゃん?

人それぞれにそのときの「正しい」があるのに、というか自分が納得できるならそれはすべて「正しい」はずなのに、一般的に正しそうなものと同じでなくていいのに、どこかに正解があると思うからなんか違うってなるんだよな。
AIが大量のデータから一瞬で正しそうな答え、もっとも一般的で普遍的そうな答えを出してくるのは確かにすごいんだけど、あくまでも「一般的普遍的な答え」であって、「で、どうする?」っていうのは自分で決めること。

一般論的なものを知った上でそれを答えとするかどうかは選べるのが人であって、AIは一般的普遍的な答えらしきものを出すまでしかできないと思う。
そうでないものを選ぶとか、全然違うことを思いつくのは、個人個人がそれまでの経験とかを持っていてそこからつくられている価値観とかで考えるからで、それは個々の身体があるからなのかなぁと思う。

とか思いつつ、じゃあそういう不合理さもAIが学んでいったらどうなるのか?とかも思うけど。
(続く)

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