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モノを捨てることは心を整理すること。

ここしばらく絶賛断捨離中。
特に、捨てるのも大変だった大きなものを捨てるとめっちゃすっきりする。

その中でも大きかったのは、子供たちが使わなくなった勉強机とかロフトベッドとか、もう使ってないテレビ台とか(テレビがないから)、娘の部屋に設置された服をかけるための突っ張り棒を支えるための日曜大工した廃材とか、両親が孫たちのために置いていったもの。

娘が小学校にあがるときに引越ししたのだけど、様子見に来た両親が孫のためにはりきって設置していったのでした。
仕事に行ってて帰ったら家具が増えてるとびっくりする。

いざ処分しようと思ったら、そもそも運びだせないし、業者に頼むのめっちゃ高いし、めっちゃ困る!!って思って。
しかも思わず母親に、すごい大変!って愚痴ったら、そんなのあたりまえじゃない!って言われたりして、いらっとした。
自分が買って自分で処分するのは大変でもお金かかってもあたりまえだけど、勝手に置いていかれたのを処分するのが大変なのはあたりまえじゃない。

そんな感じなので、余計に、それらが処分できたときはめちゃくちゃすっきりしたのでした。
物理的にも精神的にも。

捨てること自体はまったく迷うものではなかったし、さくさく見積して手続きして処分お願いするだけ、のつもりだったけど、あまりにもめんどうでいらっとして。
てかそもそもさ、こんなの勝手に買ってくるとかおかしくない?とかって、思い出しいらっとしたりして。
そういえばそんな感じで、何言っても無駄だなって思って文句も言わずに諦めたのほかにもあったな、って思い出したりもして。

うっかりスルーしてたけど(もし何か言ってても思い出せない程度の軽いやりとりだけだと思う)、そのときにもっと怒ってよかったんじゃない?っ思って。
こういえばよかった、こんなやりとりできてたらよかった、って、ひとりエンプティーチェアワークみたいだった。

エンプティーチェアーでやりとりしようとして、そもそも話する気ないじゃん!聞く形だけで聞く気がないじゃん!って思い出して、またいらっとしたりもしたけども。

それでも、モノを手放すっていう形を取りながら、出しきれてなかった感情を思い出して、未完了のプロセスを完了させて手放して、ってできたのがよかったと思う。
まだ全部完了させきったわけではないけど、それはそれで思い出して整理しようとできてるからいいかな。

結構感情をためがちだし、手放せないことが多いから、モノを手放すって形にのせたから手放しやすかったのだろうと思う。
大物処分のおかげで過去まで整理できて、今年の終わりにいろんな大掃除の気分。
残りもさくさく整理していこうと思う。

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