やる気の出ない中途半端さを許容する
やる気って出すもんではなくて、出てくるものだな。毎日中途半端に生きられてて幸せだな。
カフェラテを飲みながらぼんやりと浮かんだコトバ。
好きなことをやり始めたけれど、あまりやる気は湧いてこない。先週まではちょっと焦りがあったけれど、今日はそんな「やる気の無さ」さえ受け入れモードなのは、間違いなく保育園のある平日だから。
ひとり時間が確保されるだけで、心の安定度が高い。
昔はさ、やる気を出そうとしてたけれど、出そうと力をいれること自体馬力が必要だから、無駄な力になる。
まだムラはあるものの、やる気は湧いてくれることを知り、やる気を待っている。やる気が出た時に、さささーっと一気にやれば良い。
これで、以前やる気を出してた時と同じ、もしくはそれ以上の結果がついてくる。
自分の中途半端さにも、大概悩んでいて、今も中途半端地獄にはまることもあるが、随分減った。
中途半端だろうが、悩んでいようがどちらでも構わないねーと思えるゆとり。
保育園のおかげと、もう一つ。
悩んでる時は視点や視座が凝り固まっていて、何かに固執している。
そんな時に「ふと誰か」が声をかけてくれたり、誘ってくれたり。その誰かというのも絶妙な関係性だったりベストタイミングだったりして。狭くなっていた視点がパッと広がる。
最近そんなことが続いていて、中途半端さやヤル気のなさを許容できてる気がしてる。
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