どんな前提で物事に向き合っているか
「何でこの簡単なことに気づかなかったんだろう」
と思う時。
例えば、強い思い込みがあったり、世間的に常識となっていたり。具体的な一事例としては理解していても、抽象度を上げると理解できていなかったり(本質的に理解していない)、また逆もしかりで。
例えば「彼氏を作るぞ!」と行動する際。
“たぶん無理だ”と思いながらトライするか、“簡単にできる”と思ってトライするかによって、成否に差が出るのは歴然。
例えば、上司から仕事をふられた際。
“キャリアを考慮してくれてるんだ”と思うか、“面倒くさい仕事をふってきた”と思うかによって、スピード感や出来上がりに差が出るだろう。
自分がどんな前提をもって対峙しているかがすべて。
十分理解しているはずだったけれど、実践できないこともある。スピリチュアルに関する仕事を始めると、絶対的に対峙する必要があるのは、みえないもの・ことをどう捉えるか。
私自身は、“科学的に証明されてないみえないものも全部あり”と思っているんだけれど
・科学的に証明されてないものへは注意深い配慮が必要
・他者へ発する時には、細かく説明する必要がある
と思っていた。
だからどうしても、スピリチュアルに関することを書くこと自体が億劫になって書けなくなったり、そもそも信じていることに対して自信が持てなかったりしていた。
科学的証明必要教に、だいぶ侵されてる感じね。それほどまでに科学的根拠が必要な環境で生きてきたのかもしれないし、世間的にそうなのかもしれない。
超最先端技術でも証明されてないことを、実証しようなんて、たぶん私には無理で、そんなことしてたら、おばあさんになる。
なので、今もってる前提を変えることにする。ルール変更ね。
現代の科学を以てしても分からないこと、みえないものすべてが全部あると仮定する。みえないスピリチュアルの世界が大正解!と、前提をひっくりかえす。
前提を変えて、全く行動を変えずに過ごしたら、何か結果は変わるだろうか。みえないことって検証しにくいけれど、まぁいいや。
前提を変えると、ゲーム自体が変わる。見える世界がひっくり返る。自分だけ前提を変えるのは、誰にも迷惑変えないから実験しやすいね。