見出し画像

ネーミングセンスのない人間の、異様な執着

結論が出てないものの、今後のヒントになりそう。よって備忘録として今日は書き残している。

私は、ネーミングセンスが全くない!
特に肩書のような自分を表す表現だと顕著。
名付けたものにそれいいね♪と言われた試しがない。自分以外の人であれば、ちゃんと思いつくのだけど、自分事になるとまるでダメ。


ここ最近気になっているのは「占い師」という肩書き。最近つけたばかりなのに(苦笑)。一番共感をもらえなかったのは「教祖」。


客観性を持ててないことや、どう魅せるかが分かってないというのもあるんだけど、それだけじゃない。センスがない、辞めた方がいいと言われる肩書きだったり、ネーミングに異様なまでに執着する傾向にあると。



すごくこだわっている。

「占い師」と名乗ってるのも、とてもこだわってるし、自分の中ではピタッとはまってる。「わたしは教祖」なんて言葉は今までで一番テンションあがる言葉だ。


だが、たいていの人は反対する。
傍にいる夫は、「せめて占星術師とか、もう少しカッコいいネーミングないの?!」と心配そう。

こだわりが強いにも関わらず、名乗ってる(使ってる)言葉と行動にギャップがあるため分かりづらい。

例えば、占い師とは、色々な手法で人の運勢や未来を判断・予言・鑑定する人のことを指す。けれど私の占いは、未来を予言したり判断したりしない。

占ってないじゃん、ていうね。



先日アツさんとの対談で彼からも言われたが、どちらかというとカウンセリングよりだったり、コーチングみたいなセッションだ。「相手のもってるものを引出す」に注力しているから。長年転職アドバイザーをしていたからかもしれないが、経験からくるものではなく、「未来を占わない」と決めているからだ。



占ってないなら占い師ではない。
他に名乗ることも簡単にできる。
何とか伝道師でも、何とかサポーターでも、何とかカウンセラーでもいいのに、こだわって「占い師」と名乗っている節がある。


占い師・教祖。

社会的にネガティブな印象を持たれそうな言葉。
古くからあり、使い古された言葉。
イメージは湧くけれど、イメージだけが先行していて、厳密に何かは分かりづらい言葉。

それを使っている。
なんでだろうね。
自分事なのにね。 



変えたい。
おこがましいけれど、変えたい気持ちがあるんだろうな。

今はここまでしか出てこないけれど。



「異様な執着」ってヒントだよね。
傍からみたらどうでもいいこと。しかも、センスが全然ないのに!人様の言うこと聞かないのが、このネーミングのところなんだ。
腹の底がウぐぐぐぐってなりながら、結局答えがでてこない今。

今日はこの辺で。








この記事が参加している募集

#とは

57,786件

#今こんな気分

75,432件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?