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人生とは、玉ねぎをひたすら剥く作業である

人生とは○である、と書くと哲学者っぽいから言ってみた。

毎日noteを初めて90日。まず3ヶ月は続けようと「毎日書く」を最優先で続けてるnote。おかげさまで、随分ゆったりと自分に向き合うことができた。

とはいえ、「続けることが第一優先」と決めておきながらも、もっと成長感を味わいたいと焦ったり

仕事や日記を続けた経験に、今回の「続ける」も追加して継続はできると確信したり

毎日朝から娘と格闘して、保育園に送った後はライフポイントがほぼ残ってなかったり

でもそんな何気ない毎日が、とっても温かくて空を見上げて感動したり

自分に向き合う作業は、ひたすら玉ねぎを剥いていく作業のよう。

一番外には茶色い皮は「劣等感やビビり」な面が見えて、何枚か剥くと、元気で真っ白でツルツルな無垢な自分がいたり。最後まで剥いたら、「あれ、芯や軸はないんだろうか?」色々軸って言われるけど、そんな簡単には見つけられないのかもなとか。

次の玉ねぎを剥き始めたら、前に剥いたはずの「劣等感」が残っていたりして。私にとって、劣等感はかなり昔からの友達だ。自分と意図的に向き合いだして10年以上経つが、早々にお目見えしたのが「劣等感」。

何度も何度も内観して、人と対話してぶつかって、劣等感は減った。だが、新しい場所に行くとすぐこんにちはと顔を出してくる。何度も出てきたら、何度も向き合えばいいだけだ。

そして何個も玉ねぎを剥くと、感覚が変わってくる。


茶色の皮は劣等感、ツルツル透明な皮は無邪気な私。と思ってたけど、茶色の皮にも無邪気さはあるし、ツルツルな透明な中にも劣等感は含まれている。

だって全部私だし。全部玉ねぎだから。

茶色の皮(劣等感)ってゴミになると捨ててしまえばゴミだけど、外側の茶色の皮って実は一番栄養満点だしね。そのまま食べられないけど、スープとかで煮込むと栄養が染み出る。

劣等感が努力の原動力になってるように、形を変えて栄養になる。 

玉ねぎ剥くだけで、意外に深くないかいと思えるのは、時間にも心にも余裕があるから。昔だったら、絶対無理だ。

なんで玉ねぎかって?

冷蔵庫が新しくなって、料理するのが楽しいから。明日カレーにするために、夜から煮込むんだよね。

さて、明日の91日目からは「占い・人との交流」をテーマにしながらやっていこう。

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