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生存報告と現在の状況など

ご無沙汰しております。Makiです。
わたしが記事を書いていないあいだも、ぽちぽちといいねを貰っているようで、ご覧いただいた皆様ありがとうございます。

わたしは元気にやっております。
この2年間で、たくさんのことがありました。

昨年、姉が結婚しました。
それ以来、わたしは「次はMakiちゃんの番ね」という善意の凶器に晒されるのを恐れて、教会から足がやや遠のいています。
礼拝に遅れて行って、誰とも話さずに真っ先に帰る、という日々を続けています。
これまで、3歳のときからずっと過ごしていた教会は、わたしの居場所ではなくなってしまいました。
キリスト教会所属している人においては、その辺のところ、重々反省してほしいなぁ、と思っています。
難しいけど。
とりあえず、教会会議で「そもそも人権意識が戦後から変化してねーのよ」という爆弾をぶちこんだことで、境界に蔓延る女性軽視、男性優位の姿勢を少しで世俗の進んだ人権意識に近づけてもらえればと思いますが、そもそも居場所のないわたしには、その戦いに身を投じるつもりはないなと思いました。

姉の結婚については、ほかにもいろいろありました。
両親はそんなに「結婚結婚」いうタイプではありませんでしたが、姉の結婚が決まり、浮かれていたのでしょう。

わたしがたまたま、素敵なドレスを見つけてしまってうっかり衝動買いをしてしまったあと(この時の買い物は全然後悔していません)、それを家で見せびらかして「これは運命の出会いだから〜」と嘯いていると、「そのドレスみたいに、Makiちゃんにも運命の相手がいずれ現れるわよ」と母がぽろりと言ったのでした。
それまでさりげなく、さりげなく、「わたしは結婚しないもんねー」と冗談めかして言っていたわたしは、そこで心のバランスが一気に崩れました。

泣き喚いて部屋中のものを投げ飛ばしました。
食器と包丁と食べ物を自重しただけ、理性が残っていたと思います。
クッションを投げつけ、雑誌をぶつけ、洗濯物を撒き散らし、部屋に転がるありとあらゆるものをめちゃくちゃに投げました。
そのまま自室に飛び込んで、声の限りに叫び続けました。
叫んで叫んで、息が苦しくなったあとは、ひたすら泣き続けました。
泣いて泣いて、泣き疲れてそれでもうめいて、その日は食事は家族とは別に食べました。

夜になってようやく、ようやく母の部屋に行きました。
いきなりキレて暴れてごめんね。
でも、わたしは結婚を期待されるのが死ぬほど嫌なの。
まるで身売りを強要されているようなの。
もう2度と、わたしに結婚の話をしたり、仄めかしたり、期待したりしないでほしい。
そうじゃないと、わたしは生きていけない。
と、できるだけ冷静に言葉を紡ぎました。
涙が止まりませんでした。
もう1年以上前の話なのに、今こうして書いていても、涙が溢れてきます。

母は、わたしの言ったことを受け止めてくれました。
申し訳なかった、Makiちゃんが幸せでいるのが一番の望みだから、そのままでいてほしい、結婚が身売りだという気持ちも、少しは分かる、と。
母はお見合い結婚をして、少しは非常勤の仕事などをしていましたが、ふたりめのわたしが生まれてからは、ずっと専業主婦でした。
それでも、趣味以上には自分のライフワークを続けられたのは、父と結婚していたからだと思います。

それ以降、母から「結婚」という言葉は出てきません。
父が毎朝朝食の時にお祈りしていた「クリスチャンホームを築けるよう、出会いと結婚、その後の道をお守りください」という文言は、削除されました。
これまで寝室でその祈りが終わるのを待ってから食卓についていたわたしは、自分の好きなタイミングで朝食を取れるようになりました。

姉の結婚については他にもあって、手伝いをしていくうちにだんだんと鬱傾向が強くなってきました。
教会で「次は」と言われることにうんざりし、会う人会う人に「次は」と言われることに恐怖を覚えるようになっていきました。
耐えられなくなったらどうやって死のうか、現実的な方法を考えるようになりました。
こういう時、ミステリをよく読む人間のいうのは脳みそが無駄に働いてよくありません。
家族に迷惑をかけるけれど、家の中で失血死するのが一番痛くないし楽だろうな、というところまで考えました。

さすがにまずいと思いました。
毎朝の通勤で、線路に飛び込む人の感覚が分かるような気がしてしまいました。
姉に相談し、これはやばい、ということで、心療内科に相談し、職場に連絡し、仕事を1ヶ月休むことにしました。
母には言いませんでした。
ただ、姉のほうから両親には、わたしに「どうしたの」と聞かないように箝口令が敷かれたようでした。

こう書いてみると、わたしは見事に姉の結婚に振り回されました。
姉もお見合い結婚です。
結果としていい人と結婚できたので、姉についてはよかったとは思いますが、漠然と「将来は姉と二人暮らしをするのだろうな」と考えていたわたしの将来設計は、完全に崩れ去ってしまいました。
今後の将来設計については、いまだに不透明なままです。
いつまで両親と同居していようかとか、別に同居生活に不満がないところが、かえってこのままでいそうな感じがして、余計に将来の目処が立ちません。

ただ、両親が介護とかになって施設にはいったら、やっぱりわたしはひとりで暮らしていくだろうなと思います。
あるいは、友だちとハウスシェアをしてもいいなと思いますが、「一生結婚しない」と断言している友人がいないもので、これはあまり現実的ではないかなぁなどと考えています。

わたしのセクシュアルアイデンティティについて、公言することも表明することも、今の所はしていません。
おそらくしないまま過ごすと思います。
なんらかの活動をして、ほかのアロマ・アセクの人のために少しでも生きやすいことをできればと考えた時期もありましたが、わたしの人生に口を出されない限り、波風を立てる元気は今のところ戻ってきそうもありません。

ここ数年で、ずいぶんとアロマンティック・アセクシュアルという言葉が世間に浸透したように思います。
それと同時に、わたしのような存在が未だ透明化され、ないものとして扱われている、いや、扱われていないことについて、怒りも葛藤も覚えます。
でも、わたしが顔を出して、声をあげて何かをすることはないと思います。
それをするだけのメンタルがないな、というのが、現在のわたしの状態です。

アロマンティックの人、アセクシュアルの人へ。
人生理不尽なことばかりですよね。
人の善意という凶器に、無意識という攻撃に晒されながら生きることは、本当に辛いことです。
でも、そんな自分を哀れには思っても、けっしてダメだとは思わないでください。
辛いことがあっても、生きてください。
わたしたちが生きている間に、わたしたちが世間から存在を認識されて、存在するものとして扱われることはないかもしれません。
それでも、わたしたちはこの社会の中で生きているし、生きていていいんです。
好きなように生きましょう。
どうせこうしか生きられないんだから、と胸を張りましょう。

わたしたちは、わたしたちのままで大丈夫です。

Makiのコーヒー代かプロテイン代になります。 差し入れありがとうございます😊