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私とポストモダン そして「第三舞台」

私と文化人類学 その2 https://note.mu/maki_ayaka/n/n4e6f31e34ac2

大学に入って文化人類学を専攻し、個々の思想家が書いた難解な本を乱読したものの、結局「実存主義」「構造主義」「ポスト構造主義」「ポストモダン」とはなんだったのか分からないまま卒業してしまった私。

ところが最近、この疑問をふわっと解決してくれる良書に出会った。鍵となる軸は「何が自分の人生に意味を与えるか?」この軸に沿って考えると、途端に理解しやすくなる。

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P105 第二次世界大戦の反省から生まれた「実存主義」

短く要約すると、このような事が書かれている。

実存主義は次の言葉に集約できる。「自分の人生以外に、自分の人生に意味を与えるものは何一つない」。神は自分の人生に意味を与えてくれない。もし神がいたとしても、それは意味の源でなく恐怖の源だ。当時戦争の悲惨さを目にし多くの人々が思いはじめた。まず自分という「主体」が存在し、そして人生に意味を与えるのだと。

な、なるほどー、そういうことだったのかー。実存主義は第二次世界大戦の反省から生まれたのかー。それだったらすごく分かる! 「人生に意味を与えてくれるのは神じゃない、自分なんだ!」と多くの人々は思ったに違いない。

じゃあその次の構造主義は?

P108「実存主義」から「構造主義」へ

しかし、もし自分が自分の人生に与える構造が何らかの理由で外部の要素による結果だとしたらどうなるのだろう? この問いかけによって、ヨーロッパを中心として、一九六〇年代に、「実存主義」は「構造主義」という考え方に取って代わられていった。

私たちの思考は、自分が属する社会によって規定されている。だから自分が思っているほど自由でもないし「主体」的ではなかったということ。

次は「ポスト構造主義」。

P109 しかし構造主義にもまた、一つ問題点があるのだ。とりわけ一九六〇年代末期あたりに、小さな問題が浮上したのだ。(略)二〇世紀の恐怖の後で、社会を再構築するのが簡単だという考え方が破綻したのだ。戦争に責任のあった多くの人々が、まだ生きていたし大きな権力を握っていたため、それが簡単ではなかったのだ。これを背景に、人々は歴史とのさらに大きな過激な分離を想像しはじめた。

なるほど、そういう背景があったとしたら、「構造は普遍である」という考えを打ち破り、歴史を「変化」させようという流れになるのは当然だ。なんて分かりやすいの!

ここで「ポスト構造主義」をすっきり要約してくれるこの本が登場。

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P121 ポスト構造主義の思想家たちはみなこの差異をキーワードにして自分たちの哲学を展開しようとしました。前の構造主義においては、実体は個体そのものではなく構造なんだと考えられたのですが、ポスト構造主義になると、実体は個体でも構造でもなく、存在するのは差異それだけである、ということになっていくわけです。

「科学の進歩」や「マルクス主義」、「民主主義」といった誰もが信じていた「大きな物語」は解体した。万人が認めるような真理や規範はもはやなく、「多様性」と「差異」だけが存在し、いずれの主張も優劣がつけられないという「相対主義」へと到る。

こ、これって…どっかで見たことがあると思ったら…劇団「第三舞台」の…

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「スナフキンの手紙 」鴻上 尚史 (著)  白水社 1995/3

これやんけー!!

あとこれ!

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「トランス」 鴻上 尚史 (著) 白水社1994/6

いずれもクライマックスのネタバレになるので書かないが、共通するのは「あなたが見ている現実と私の見ている現実は違う」ということ。

この「あなたが見ている現実と私の見ている現実は違う」という考えは、同級生とのコミュニケーションにおいては、もはや前提だったことを覚えている。

それゆえ私たちは孤独で、その孤独に寄り添ってくれる「第三舞台」の物語に熱狂したのだろう。どれくらいの熱狂だったかは、この本に詳しく書かれている。

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「演劇プロデューサーという仕事: 「第三舞台」「劇団☆新感線」はなぜヒットしたのか」 細川 展裕 (著) 小学館 2018/10

テクノロジーの発達により情報化が進み、「小さな物語」が拡散するという、ジャン=フランソワ・リオタールが「ポストモダンの条件」の中で描いた状況と、第三舞台の芝居は見事に合致している。

「あなたの物語と私の物語は違う」というポストモダンの孤独の中で生きる私に、「第三舞台」の芝居は深く鋭く突き刺さったのだ。

ところで、「ポストモダン以後の時代に対する名前」として、マルクス・ガブリエルが提唱する「新実在論」というのがあるらしい。

果たして、「新実在論」は、ポストモダンの孤独を乗り越え、癒してくれるのか? あるいは癒さないのか? 次回はそれを考察してみたい。(わからなかったらごめんなさい)

#哲学 #演劇 #マルクス・ガブリエル #丸山俊一 #ポストモダン #第三舞台 #鴻上尚史


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