20年後、ナディッフモダンで
渋谷のナディッフモダンでふと目について、河合隼雄『こころとお話のゆくえ』を買い求めた。そこに出てくる「同一視」という言葉が気になってずっと考えている。少し長くなるが引用しよう。
「同一視」とは、誰か他の人に対して、自分も「あの人のようになろう」と思ったり、その人の真似ばかりしたり、するような状態をいう。「なんだ、そんなことか」と思う人があるかもしれないが、これは人間の成長にとっては非常に大切なことだ。もちろん、人間は一人一人異なるのだから、他人と同じになることなどできない。しかし、そこまで思いこんで努力してみることによって、「やっぱり、自分はこの人と違う」ということがわかり、自分自身の生き方というものがわかってくる。
そんな面倒なことをしなくても、最初から自分の個性を生かして努力すればいい、と思うかもしれないが、人間の個性などというものが、そんなに簡単に見つかるはずはない。誰か自分のほかに「生きた見本」を見せられて、あれだ、と思って努力し、苦労してこそ自分の個性が見えてくる。
(河合隼雄『こころとお話のゆくえ』河出文庫)
人生の迷路にさまよい込んでしまった方から、ご相談をいただくのが占い師の仕事である。「私はどうすればいいのでしょうか」と答えを求められることも多い。個人的には、占い師の仕事はその人の未来を断定するものであってはならないと考えている。道は指し示す、でもあくまで決めるのはご相談者様なのだ。人は、自分で決めたことしか頑張り通すことはできない。心のなかで「よし、こうしよう」と決めるからこそ、その火は消えることなく燃え続けるのだ。
さりとて、私にはそういった「答えを求める人たち」が、安易にそうしているとは思えないのだ。ご自分なりにあれこれチャレンジして、あれもだめだ、これもだめだと絶望し、痛い目に遭ったり泥水をすするような思いをして、世界が自分を拒絶しているような気持ちになって。もう自分ができそうなことなんてひとつもないような気がして、そういった質問の仕方になってしまうのではないだろうか。
そうしたトライアンドエラーに疲れ果てている人が、増えているようにも感じる。背景には、個性や長所が何たるか、どう見つけるのがあやふやなままに「誰にでもある素晴らしいものだ」とされている世の中の影響もあるのでは、と考えている。これはいわゆる職業選択における「やりたいこと」にも通じる問題だ。
「やりたいことを見つけましょう」「やりたいことをしましょう」という言葉に苦しめられている人は少なくない。平易な言葉ではあるが「やりたいことなんてない」「やりたいことが見つからない」ということで自分を責め、迷ってしまうのだ。
かつて、心理学の恩師に仕事でコラムの執筆をお願いしたことがある。教育関連の冊子で、小学生からの人生相談に心理学の観点から答えるというものだ。ある回で、「やりたいことがないのは、いけないことですか?」という質問が来た。先生や親はいつも「将来は何になりたいの?」と聞いてくる。でも自分にはやりたいことなんかない。これって、いけないことなのだろうかと。ううむ、とうなった。
恩師はエマソンの言葉を引き合いにして、答えた。「いけないなんてことはありません。やりたいことは、見つけるものではなく見つかるものだから。いろいろな場所に行って、いろいろなものを見て、面白いと思うことをたくさんしましょう。そのなかから、必ず見つかります」と。
そのコラムは子ども向けのものだったが、恩師の強い要望で「親向けの言葉」を入れることになった。「保護者の方へ。もしも、お子さんが『やりたいことがない』と言ったときは、博物館でも水族館でも、いろいろな場所に連れていってあげてください。なんでもやらせてあげてください。そのうち、お子さんは必ず見つけますから」と。
「この人じゃない」「これじゃない」は、いってみれば自分を探り当てる旅の途中なのだ。世界から拒絶された暗闇ではなく、自分にまた一歩近づけたという、ささやかな希望の光なのだ。
自分がわからない。やりたいことがわからない。どうしていいかわからなくなったときは、できるだけたくさんの「生きた見本」を見るのが良いのだろう。身近にそうした人が思いつかないなら、本を読んで尊敬できる書き手を見つけるのもいい。スポーツサークルなり、読書会なり、コミュニティで素敵な人を見つけるのもいいだろう。やりたいことも然り、いろいろなことをやってみて「これ」と思えるものを探し続けることで、「見つかる」のだ。
ひとつ大切なのは、精神は自分のものであると自覚しておくことだ。自分を誰か別の人にしようとしたり、やりたいことにはまるピースにしてはいけない。違いを見つけて、自分のものにすること。体験を編集し、判断するのはあくまで自分であり、そうする力があるということだけは、どんな暗闇のなかであっても放り出してはいけないのだろうと思う。
冒頭の、渋谷のナディッフモダンは18歳の頃訪れた。やりたいことはあったができる気がせず、憧れの人はいたが真似るだけの自分がむなしく、ただその人が好きな文化を追いかけてナディッフモダンで多くの時間を過ごした。20年以上が経って、今こんな文章を書いているというのは、なんというか感慨深いことである。いけないなんてことはありません。いけないなんてことはありません。今は亡き、恩師の言葉が胸によみがえる。いけないなんてことは、ないのだ。
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