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朝がとほうもなく遠く思える夜に

若かった頃のある時期、ささやかな絶望感からどうしても人が信じられなくなりーー今から思えば「人が怖くなり」という表現のほうが正しいかもしれないーーできるだけ人と関わらない方法を選んで生きていた時期があった。仕事をしようにも面接に行けない。というか、そもそも応募の電話すらかけられない始末である。困り果てて働きたい会社に手紙を出してみたら、当然ながら「まずはお電話で……」と困惑した感じの返事が届いた。ですよね。

それからしばらくして私は覚悟を決め、人にも恵まれ、自分を鍛えもして人並みの社会生活が送れるようにはなった。人も信じられるようになったけれども、人生にはふってわいたような災難もあれば己のおろかな判断もある。「やっぱり人なんて信じるんじゃなかった」と後悔したことも一度や二度ではない。信じた自分を散々責めたり、何度も思い出してはみじめな気持ちを反芻したりした夜もあった。

年齢を重ねた今になって感じるのは、思うにまかせないことが起きたときに重要なのは自分を責めることでも、起こったことを繰り返し思い出すことでもないということだ。自分を責めても1円も得はしないし、思い出せば問題がどうにかなるわけではない。さらに悪いことには、こうした思考回路がクセになってしまうと、起こった出来事にただただ振り回され続けるだけの人生になってしまうということだ。エネルギーは後悔することに注いじゃいけない、本当にしたかったことを実現することに注がなければいけない。そのためにも、起こったことではなく「自分が本当はどうしたかったのか」に優しく光を当ててあげたいものだと思う。

人を信じて裏切られた人は、人を信じたかったのだ。夢が叶わず悔しかった人は、ほんとうに夢を叶えたかったのだ。そこに目を向けさえすれば、「悩む」ことを「考える」にしていける、本当にしたかったことを叶えるために。

それでこそ、人は自分の人生を肯定できるだろうと思うのだ。どんなにがっかりして、顎が胸にくっつくほど打ちひしがれる夜があったとしても、新しい朝を信じられると思うのだ。自分の一番そばにいるのは自分なのだから、上手く運用していきたいものだと思う。


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