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夢幻鉄道 君と見る景色 1

 連載小説です。今取り組んでいるホスピタルアート活動をテーマにした小説になります。マガジンに追加していき、マガジンをフォローいただけると追加が通知されます。

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夢幻鉄道 君と見る景色

 駅のホームに緑の電車が停車した。すぐに車両に乗り込み、端の空いていた座席に僕らは座った。すぐに僕は鞄から本を取り出し、母さんは手に持っていた電話の画面に視線を落とす。この電車に乗るのも、もう何度目だろう?物心つく前からだから正確な回数は知らないけど、おそらくいっぱいだ。
 僕は本を開く前に、少し車内を見渡した。立っている人は誰もいない。子供は僕だけで、みんな電話を見ている。そんなだから、今ここに何人いるとか、黒い服の人がいるとか、僕が今からどんな本を読むかも誰も知らない。そんなに手の中にあるものっておもしろいのかな。黒い服の人が何人いるか探すゲームより楽しいのかな。僕も母さんの電話を触らせてもらった事があるけど、動画を見るのは確かに面白かったな。みんなアニメを見ているのかな、それだとずっと見ているのわかる。みんな、何を見ているのかな。
 本をまだ読んでいない事に気づき、ページを開いた。これを読むのは初めてじゃない。僕はこの物語の最後がどうなるかを知っているし、出てくる言葉も結構覚えている。そして、持っていける本は鞄に入る3冊までと毎回決められている中、いつもこの電車に乗る時はその1つとして選んでいる。それには理由があるからだ。
 まずい、電車を降りた後の儀式を思い出してしまいそうだ、このままだと具合が非常に悪い。全神経を文字と絵に集中させよう。
 好きなページに切り替え、脳内を本の物語で埋める様に努めた。徐々に意識が現実世界から離れていくのがわかる。これこれ、これだ。さあ、まだ到着するまで時間はある。たっぷりと冒険しようじゃないか、僕なら出来る。
 ほんのわずかでも良い。この先に待つ試練を忘れられるなら何でもする。

 今回の試練も無事に泣かずに乗り越えた。お馴染みの注射の痛みに耐えきったのだ。もっと小さい子だったら泣いてもいいが、僕はもうそんなに幼くはない。泣いても普通なら泣きたいけどね。けど泣かない。恥ずかしいし、かっこ良くない。いつも通り、僕だけ先に診察をした部屋から出た。母さんはお医者さんと話があるみたい。どんな話をしているのだろう、今日も歩きながら聞いてみよう。まあ、きっとまた「順調で問題ないって、検査もそろそろ終わるかもねー」と言うのだろう。答えがわかっていても僕はいつも聞いている。もうそろそろ終わると言いながらまたこうやって来ているのに、僕は「そろそろっていつ?」とは聞かない。そりゃあ、来る度に注射をされるから終わりにして欲しいのが本音だけども、これ以上検査が増えるのが嫌なのだ。なくなるにこした事はない。ずっと前から沢山注射や検査を受けてきた。いっぱい頑張ってきたのだから、これ以上痛い事を僕にしないで欲しい。良い事をあまり望まない代わりに、これ以上の悪い事がないようにして欲しい。

 トイレに行きたくなった。
 この階のどこにトイレがあるかは知っている。きっとまだしばらくは母さんは出てこないはず。さっと済まして戻れば大丈夫だろう。
 本を鞄に入れ、トイレに向かった。そこはそんなに遠くない場所にある。
 看護師さんとすれ違う。パジャマを着た男の子が看護師さんに話しかけていた。見た事ない子。この階は僕みたいに家から来る子もいれば、ずっとここにいる子もいる。僕もここに今より小さい頃に泊まった事があるがあまり覚えてはいない。
 男子トイレには誰もいなかった。手短に任務を完了させ、手を洗う。廊下に戻ると、さっきいたパジャマの子は消え、別のパジャマを着た女の子が廊下の壁を見ていた。何を見ているのだろう?不思議になって僕も彼女の視線のその先を目で追った。あれ?他の壁と同じだ。変わったものはない。アンパンマンの絵とカレーパンマンの絵が貼ってあるだけの壁だ。おそらく、看護師さんが折り紙を切って作ってくれたのだろう。ずっとここにあるから通い慣れた僕からしたら普通だけど、もしかしたらこの女の子はまだここに来たばかりなのかも。
 女の子が僕の存在に気づいて振り返った。髪の長いかわいい子だ。にこっと笑った。
「アンパンマン、好き?」
 年齢的にはもう卒業してそうだけど聞いた。
「別に、ちょっと見てただけー」
「最近ここに来たの?」
「そうだよ。あれ、どうしてわかるの?」
「その絵、ずっと前からあるから、小さい子は見る事あっても、大きくなるとみんな見ないから」 
「ずっとあるんだ。そうか。そういう君はここにいて長いの?」
「入院はもうしてないけど、よく来てるよ。赤ちゃんの頃からずっとここに来てるから色々知ってるんだ。そういう君は?」
「最近だよ。別の病院から来たんだ。君はじゃあ入院はしてないんだね。そっか、そっか。あ、私はアスカ。君のなまえは?」
「僕はハル。最近なんだね」
「うん。ハルはもう診てもらったの?」
「終わったよ、さっきね」
「注射した?」
「したした。まあ、慣れてるけどね」
「泣かなかった?」
「泣く訳ないじゃん。痛かったけどね」
 本当は泣けるなら泣きたいけどね。
「ハルはすごいなぁ」
「あ、アスカは泣いてもいいと思うよ」
「どうして?泣かないって決めてても、後で部屋で泣いちゃうんだ、だめだよね」
「泣いていいよ。痛いよね。注射してすぐは泣かないの?」
「もう泣かない。お母さん心配するし」
「わかる!そうだよね。心配するよね」
「うん、つらい顔見るのは嫌。だから私頑張るんだ。私が出来る事ってそれ位だし」
 アスカのその気持ち、痛いほどわかる。
「頑張ってるよ、いっぱい、いーーぱい、アスカは頑張っているよ」
「そうかな」
「うん、頑張ってる」
「せんせいたちは、いつも頑張ろうって言うよ。今日もきっと言うはず」
「僕も注射ずっとしてるからわかるよ、アスカがどれだけ頑張っているか」
「あ、そうか。ハルも私と同じなんだもんね。ハルもじゃあ、いーーぱい頑張ってるね」
 僕も頑張っている、アスカのその言葉が新鮮だった。母さんや、せんせいや、看護師さんに「頑張ったね」と言われる事はあっても、そういえば「頑張っている」と言われていない。まあ、もしかしたら僕が覚えてないだけかもね。僕がアスカに言ったその言葉、何にせよ、僕も言われて嬉しかった。うん、僕は、僕らは頑張っているよね。
「そうなるね。僕らは頑張っている!」
「頑張っている!」
 二人で思わず声を上げた。
 声の大きさに驚いて看護師さんが部屋から顔を出してこっちを覗いた。
「あら、アスカちゃん、ここにいたのね。ほら、もうすぐ検診始まるよ」
「えーもうそんな時間ー」
 アスカは頬を膨らませ、そしてオーバーにうなだれた。と思っていたらすぐに顔を上げて笑顔を僕に見せた。にっこりと、元気そうな顔。本当にこの子にも注射が必要なのだろうか?
「という事で、またね、ハル。私はしばらくここにいるから、また会おうね」
「うん、そうしよう。来た時寄るね」
「必ずね、待ってるから」
「もちろん」
 まさか、病院に来る楽しみが出来るなんて、とにかく僕は嬉しかった。

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