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リスクマネジメント研修

虫が苦手だ。

食物連鎖とか生態系のバランスとかどうでもいいので、すべての虫をこの世から消し去りたいとシェンロンにはお願いする予定である。代償として今後一生牛肉が食べれなくなるぐらいであれば受け入れるので、虫のいない世界で暮らしたい。

屋内の空間、特に自宅内は何一つ危険のない落ち着く空間であってほしいものだが、一匹の小さい虫がいるだけでも途端に心がざわつく。文字通りなるべく虫との距離をとって生きてきたがそうもいかない出来事もあった。

小学校低学年か中学年の頃、総合という何を勉強するかはっきりしない、大学の横文字の学部のような授業があった。自分の小学校は多摩川まで徒歩数分の距離にあり、次回はそこで学年みんなで虫捕りをするので虫かごと虫網を持参するようにと担任に告げられた。なぜ授業で虫を捕らなければいけないのか。歳をとってだいぶ落ち着いた人間になったが、あの時の憤りというか不満は今でも当時の熱量のまま思い出す。

当日、苦虫を噛み潰したような気持ちで川までの道のりを歩いたことを覚えている。河川敷につき鬱蒼と生茂る芝生へと勢いよく飛び出す同級生を尻目にしばらく立っていた。そんな風に全く動く気がない一部生徒に対し、教師陣は何か一匹でも捕まえなさいと背中を押してくる。物理的に。思えば人生で初めて課されたノルマだったかもしれない。

とはいえ意地でも虫と触れ合いたくはないので、活発な同級生にこっそり虫を捕って自分のカゴに入れてもらうことにした。まず、依頼をする同級生は底意地の悪い人間ではないことが必要だ。やんちゃな人間に頼むと、ふざけて捕まえた虫を自分に押しつけてくる可能性がある。信頼に足り、良い意味で遊び心のなさそうな真面目な同級生を選定し走ってお願いに行く。真面目さがゆえ、依頼に対して見返りも求められず取引は成立し、早速作業に取り掛かる。自分がぶら下げているカゴに捕った虫を入れてもらおうとすると、飛び跳ねてきたりという事故の可能性があるので、カゴごと先に渡して虫を入れてもらい、蓋をガッチリと閉めたことを遠目で確認し受け取りを行う。徹底したリスク管理の元、なんとか不正を働きながらもノルマを達成し担任に報告する。

「ほんとは自分で捕らないとダメだぞ」と教師。見られていた。虫に触らないというリスクは管理できていたものの、肝心のこっそりと任務を遂行するという部分は対策が取れておらずインシデント発生となってしまった。不覚だった。

この時、不正を働く時は通常時以上にあらゆる側面に注意を払わないといけないと気づかされ、大人の階段を一段昇った気がする。

ただ、そもそもなぜ虫を捕まえることを課されていたのか、未だに納得する理由は見つからない。あの時と同じテンション、熱量で今度はより理論立ててあの教師陣を問い詰めることができる自信がある。もちろんそんな機会はもうないけれども。夏になり、玄関先や芝生の上などで虫に襲われるたびにこの出来事を思い出す。そして思い出すたびに納得いかず、虫の居所が悪くなるのである。

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