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騙しのコードで挑んだ現地ドイツ企業への転職。その後の人生最大の試練 ~プログラミング未経験の僕が、海外マイクロソフトに就職し、独立開業を始めるまで~

人生の転機をかけ、プログラマー未経験なのに
プログラマー経験者であるという
とんでもないハッタリをかました履歴書を
現地のドイツの地で、決死の覚悟でバラマキまくった僕。
そんな中、かかってきた1本の電話。


「インタビューに来い」


電話越しに聞こえたドイツ人男性の低い声、その正体は…
ダニエルというドイツ人で、Value Price AGという、ファイナンス系のアプリを開発しているドイツ企業のマネージャでした。


「お前、凄腕のJavaプログラマーなんだろ?今すぐうちにインタビューに来い」


と、ドスの聞いた声で言われ、足の先まで震え上がる僕。
凄腕のプログラマー?そんなわけない。
書いた履歴書の中身は、(プログラマーの経験については)盛ったどころか上から下まで真っ赤のウソっぱちだ。

ここは日本ではない、自分を守ってくれる人など、誰もいない。
いや、それでも。それを覚悟の上でこうすることを決めたんだ。
もう戻ることは出来ない、やるしかない。やるしかないんだ。

そしてインタビュー当日。
心臓がバクバクとした音で零れそうになるのを抑えながら、なんとか会社に到着。

オフィス内に入り見渡してみると、働いているのは皆、ドイツ人やヨーロッパ人など非常に多国籍な環境。

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↑写真はあくまでイメージです!

今まで僕が勤めていた『ドイツの中にある小さな日本社会』とは大きく異なる環境なのは一目瞭然。

まさに、日本からわざわざ行ったこともないドイツの地に足を運んできた僕が、求めてきたものでした。
やはり、この多国籍の環境でどうしても働きたい。ここに転職したい、強く思いました。

しかし、やりたいことが出来るかどうかはまた別の話。

そのためには、かましたハッタリが通用すると証明するための、これから始まるインタビューを突破しなければ無理な話で・・・

「お前、Javaの歴は何年だ?どんなコード書いていた?」

インタビュー開始と同時に飛んできた質問。
プログラマー未経験の僕は当然、そんな経験はなく、まともに答えられるはずありません。
答えがちぐはぐになり、非常に焦る僕。
慣れないドイツ語で、質問にもまともに答えられない僕に、不審な顔をし続ける強面のマネージャ。

しかし、絶対に、どうしても。
この機会を逃したくないという強烈な執着から、さらにとんでもない言葉が飛び出しました。

「今から一時間くれ、コードを書いて見せる」

焦りすぎて、信じられないような墓穴を掘る発言を重ねることにw
コードなんて、もちろん一度も書いたことありません。
何も知らない、何も分からない。
でもやるしかない。
その後、一時間かけてネット上を探し回り書いたコードは、以下のものでした・・・・

class Cat{
   public static void main(String[] args) {
       System.out.println("I’m a cat");        
   }
}

プログラムの経験がある方であれば、あまりの拙さに笑い転げるかと思います。
それもそのはず、これは
「私は猫です」という文章をネットで探し、コピペして貼り付けただけのコードなのですからw
これを1時間後、苦し紛れにダニエルに見せたのです。

勿論、これでは納得される訳がありません。

今の僕が出せる技術はこれが限界。
あとは気持ち、熱意をひたすら伝えるしかないと思った僕は

自身の過去、何故NTTを辞めてドイツに来たのか
プログラミングを学びエンジニアとして活躍したい想い
何よりも頂いたこのチャンスに対して諦められないという強い想い
その全て伝えました。

これでダメなら、もう終わりだ・・・
半ば消沈しかけた僕に、ダニエルにはこう言いました


「お前がコードを書けないのは気づいていた。ただ、お前は約束通り一時間でコードを書いた。お前の熱意は伝わった、良いだろう、認めてやる。通常、Javaが使えない奴は雇う事はしないが、よくわからないが俺はお前を採用したい」


『採用したい??』採用!!働ける?ここで働くことができる!!信じられない気持ちと嬉しさで舞い上がりました。
しかし、ダニエルは続けてこう告げました。


「但し、入社後、お前に試練を与える。最初の二週間でお前が実力を出せれば本採用してやる」


試練。そりゃそうだ、未経験の僕をただ採用したいと思う気持ちだけで雇ってもらえるほど、甘くはない。
でも、繋がった。
諦めずに続けたら、これ以上ないチャンスがきた。

本番はここから。
文字通り、人生をかけた戦いが始まります。

丁度この頃、30になったばかり。
前に進むために僕は、プログラミングスキルを自力で身につけるというとんでもない試練にぶつかることに。

しかし、プログラミングを自力で学ぶというのは、想像以上に過酷なものでした・・・
当時、そこまでネットに情報が溢れている訳でなく、本屋に行こうにも、当然ドイツ語のJavaの本しか無く、これでは逆にドイツ語を理解するのに時間をとられる。
当然、周りに日本人は誰もいない。話を聞くことすらできず・・・

そのため、ひたすらネット上の英語のリソースの参照を繰り返し、Javaを死物狂いで独学することに。

限られた知識の中で、学べることをひたすら学ぶ。
これが本当に大変でした・・・
何度も無理かもしれない、そう思った瞬間でした。

しかし、この自分の決断に関して、僕自身が少しでも後悔したかというと、それは全くありません。
そして今振り返っても、
この決断は正しかったと確信しています。

これは後々独立を決めた当時も今も、変わらないことですが
どうしても僕は、自分を騙して生きる事ができない性分のようで・・・
今も昔も、妥協してなんとなく生きることができないのです。

こういう性格のせいで、いつも茨の道を歩む事になるのですが・・・
ただ、振り返ると、いつもその時々は苦しむのですが
苦しい道を選択した時の方が、常に自分にとって大きな成果を得られ、自分の成長を実感できるのです。

だから道に迷った時は、茨の道を選択する事にしています。

本来瞬殺で不採用となる所、熱意と執念のみでまさに首の皮1枚は繋がった僕。
今回の経験から得た教訓は

諦めない覚悟と執念があれば、
機会は自分で切り開く事ができる。

それを強く感じた瞬間でした。

さて、『30歳でプログラミングを独学習得』という
とんでもないストーリーの行く末は果たして・・・

次回に続く

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