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中欧の旅

2023年7月、中央ヨーロッパを9日間一人旅しました。ウィーン(オーストリア)からブダペスト(ハンガリー)、クラクフ(ポーランド)を経由してプラハ(チェコ)へ。欧州の多様性を実感できた旅でした。記事の終わりに旅程を載せています。

ウィーン(オーストリア)

オーストリアの首都ウィーンは、16世紀から19世紀初頭にかけて覇権を握ったハプスブルク帝国の都で、音楽と芸術の都として知られる街です。

街の中心部はこじんまりとしていて、歩いて観光するのに最適です。素敵なカフェやお店が軒を連ね、歴史的建造物がここかしこに見られます。公用語はドイツ語ですが、街中では英語が充分通じます。

シュテファン大聖堂。色鮮やかなタイル屋根が特徴。

クラシック音楽

モーツアルトやベートーベン、シューベルトなど、著名な作曲家が活躍した音楽の都ウィーン。国立オペラ座を本拠地とするウィーン管弦楽団の演奏を楽しみにしていたのですが、残念ながら夏の間公演はありません。せっかくなので教会コンサートに足を運びました。聖アンナ教会とペータース教会のクラシックコンサートに行ったのですが、歴史ある壮麗な教会で聴く演奏は格別でした。

エゴン・シーレ

ウィーン滞在中にどうしても見たかったのは、エゴン・シーレの絵画。ウィーン郊外で1890年に生まれ、28年という短い人生を駆け抜けた芸術家。世界最大のコレクションを誇るレオポルド美術館で作品を鑑賞、魂が抉られるような表現に圧倒されました。

エゴン・シーレ自画像。ウィーンレオポルド美術館

ブダペスト(ハンガリー)

ウィーンから列車に揺られて2時間半、ブダペストへ。ドナウの真珠と謳われるハンガリーの首都ブダペストはドナウ川を挟んで西側の王宮のあるブダ地区、東側の商業と政治の中心ペスト地区から成ります。それ程大きい街ではないですが、地下鉄、トラム、バスといった公共の交通機関が発達していて街中の移動にはとても便利です。

ブダペストの夜景。ドナウ川をはさんで国会議事堂をのぞむ。
地下鉄の駅入口。欧州初の地下鉄として世界遺産登録されています。

ブダペストの街中に、ハンガリー系ウクライナ人芸術家ミハイ・コロドコ(Kolodko)が制作したミニチュア像が点在しています。その作品の多くは政治的メッセージを持ち、彼の作品を巡るツアーもあります。

1956 年のハンガリー革命を象徴する戦車。下を向く主砲は革命の終わりを示唆。

シシィ

19世紀のオーストリア・ハンガリー帝国皇后エリザベート(通称シシィ)はハンガリーをこよなく愛し、ハンガリーの独立運動も支持したため今でもハンガリー国民に慕われています。ブダペストの街中にシシィゆかりの見所やカフェがあり、観光名所となっています。

マーチャース教会。シシィの夫であるヨーゼフ1世の戴冠式が行われた。屋根のタイルはウィーンのシュテファン大聖堂と同じジョルナイ製。オスマントルコの時代にはモスクとして利用された。

シナゴーグ

ウィーンからブダペストに向かう列車に乗り合わせたハンガリー人の老人が、ブダペストに行くならシナゴーグは絶対見にいくべきと熱弁しているのに触発され、ペスト側にある旧ユダヤ人街に足を運びました。ここかしこにナチスによるユダヤ人迫害の爪痕が残る地区ですが、通りには若者が集まるカフェやバー、クラブが乱立しています。

ブダペストには20程度のシナゴーグ(ユダヤ教寺院)があり、ヨーロッパ最大規模を誇るドハーニ街シナゴーグのほか、ルンバッハ通りのシナゴーグなど現在も礼拝施設として利用されているところが多くあります。

ハンガリーのユダヤ人の歴史は少なくともハンガリー王国までさかのぼり、第一次世界大戦までには総人口の5%、ブダペストの23%を占めるまでに成長しました。13世紀後半以降は他の西欧諸国と同様、宗教的寛容は低下、第二次世界大戦中ナチスドイツの占領下43万人以上のユダヤ人が強制収容所に送還され、そのほとんどが処刑されたといわれています。

現在も使われているルンバッハ通りのシナゴーグ。右手のグラフィティはオーストリアハンガリー帝国の皇后シシィ。

クラクフ(ポーランド)

ブダペストから約400キロ北にあるポーランドのクラクフへ。移動は直行便のあるFlixバスで約6時間。列車移動の方が好きなのですが、その場合スロバキア経由で遠回りすることになり、10時間程度かかります。バスは安全面などで少し不安でしたが、ほぼ時間通りの発着で快適でした。

ポーランドの京都とも称されるクラクフは、かつてポーランド王国の全盛期に王都がおかれていました。中世そのままの街並みが残る歴史地区は、世界遺産第一号として登録されています。旧市街はこじんまりとしていて、歩いて観光するのに最適です。

クラクフ旧市街中央広場。

映画「シンドラーのリスト」の舞台

第二次世界大戦中にナチスドイツから多くのユダヤ人の命を救ったドイツ人実業家オスカー・シンドラー。彼のホーロー工場がクラクフにありました。

第二次世界大戦前のポーランドにはヨーロッパ最大のユダヤ人社会があり、クラクフはその人口の四分の一に相当する約6万人のユダヤ人を擁していました。クラクフのカジミェシュ地区は14世紀にポーランド王カジミェシュ3世が黒死病の原因として西ヨーロッパで迫害されていたユダヤ人を保護し、王都であるクラクフに作ったユダヤ人街に由来します。ナチスドイツの占領下にはこの地区にユダヤ人ゲットー(隔離居住区)がおかれ、現在では数百名のユダヤ人を残すのみとなっているそうです。歴史の傷跡が街のここかしこに残るなか、最近では再開発が進み若者が集まるおしゃれな街として注目を集めています。

現地でユダヤ人地区を歩くツアーに参加したのですが、ナチスドイツによる迫害の時代を生きたユダヤの人々の生活と闘争について触れることができました。

スタラシナゴーグ。カジミエシュ地区

アウシュビッツ・ビルケナウ博物館

クラクフの西約70キロ、オシフィエンチム郊外にあった強制収容所。第二次世界大戦中ナチスドイツ占領下の地域からユダヤ人、ロマ、共産主義者、反ナチス活動家、同性愛者など150万人以上の人々がここに送られ殺害されたといわれています。

博物館は予約をすれば無料で自由に見て回ることができますが、せっかくの機会なので、ツアーに参加することにしました。私が参加したのは、6時間のスタディガイドツアーです。ユダヤ人を絶滅させるため組織的かつ効率を考慮した設備が作られ運営されていたことに驚愕しました。直接手を下したのはナチスドイツの軍部であったとしても、収容所の建設と運営には、意識していたか否かにかかわらず、様々な人々が関わっていたことになります。ツアー中にガイドの方が投げかけた問い「誰が彼らを殺したのか」が今でも心に引っかかっています。

世界中で紛争が絶えない現在、私自身が理不尽に人の尊厳を奪う行為に荷担していないかと自問するきっかけともなりました。

アウシュビッツ強制収容所入口。「働けば自由になる」というスローガンが掲げられている。

プラハ(チェコ)

世界で最も美しい街と謳われるプラハ。期待に胸を膨らませてクラクフからプラハ行きの列車に乗ります。約7時間の長旅ですが、直行列車なので安心です。

カレル橋とプラハの街。

プラハの旧市街を案内してくれた地元のガイドさんがチェコは平和主義だと言っていたのですが、1989年の民主化(ビロード革命)に続いて1993年にはスロバキアと平和裡に分裂し独立、という歴史をみると頷ける気もします。プラハは14世紀カレル4世の時代に神聖ローマ帝国の首都となり、ヨーロッパ最大の都市にまで急速に発展しました。中欧最古の大学、カレル大学もこの時期に創立されています。

ヤン・フス

ヤン・フスは、14世紀終わりから15世紀はじめに活躍したチェコ出身の宗教思想家で、当時腐敗が進んでいたカトリック教会に異を唱えたために、火炙りの刑に処せられました。カレル大学の学長でもあったフスはチェコ語の正書法を確立、聖書をチェコ語に翻訳、説法もすべてチェコ語でおこないました。ガイドさんの受け売りですが、戦争の英雄ではなく、ヤン・フスをチェコ最大の英雄の一人とするところも、平和主義のチェコの国民性が表れている気がします。

旧市街広場にあるヤン・フス像。処刑前の彼の最後の言葉『真実は勝つ "Pravda vítězí"』はチェコの国章にも記されている。

芸術の街

チェコ出身の小説家、フランツ・カフカ。プラハのユダヤ人の家庭に生まれ、代表作「変身」など、独特の小説作品で知られています。

フランツ・カフカ像。プラハのユダヤ人街。

街歩きをしていると、ダビッド・チェルニー(David Černý)の作品に出会います。チェコ生まれの現代彫刻家で斬新な作品で知られています。私はたまたま2つ見かけたのですが、プラハの街に全部で6つあるらしいです。

ジークムント・フロイトの像。ダビッド・チェルニー
立ち小便の像。足下はチェコの国土の形。ダビッド・チェルニー

ヨーロッパで19世紀末から20世紀初頭に興った芸術運動「新しい芸術」アールヌーボー。アルフォンス・ミュシャはチェコ出身のアールヌーボーを代表する画家で、彼が手がけたステンドグラスが、プラハ城敷地内にある聖ヴィート大聖堂にあります。

ミュシャの作品。聖ヴィート大聖堂。
聖ヴィート大聖堂。

おわりに

9日間で4都市を巡る駆け足旅でしたが、歴史のつながりとヨーロッパの多様性を実感しました。ハプスブルグ、オスマントルコ、ナチスドイツとソ連といった共通項がある一方で、それぞれの国の独自の歴史と民族・価値観がはっきりと見て取れます。ユダヤ人が経験した迫害の事実からは、人間の底なしの凶暴性を感じました。

どの都市も素晴らしかったのですが、特にプラハが気に入りました。街の美しさに加えて、何よりもその自由な雰囲気に惹かれます。ポーランドも今回はクラクフのみでしたが、次回はワルシャワも含め他の街にも行ってみたいです。

旅程

都市間の移動は列車とバスを使いました。チケットは全てオンラインで事前予約、座席の予約も同時にできて便利です。通貨は、オーストリアはユーロですが、ハンガリー、ポーランド、チェコはそれぞれ現地通貨があります。一部のお店を除いてほとんどの場所ではカードで支払いができたのでそれ程不便は感じませんでした。

  • 1日目 ウィーン着、中心街観光。聖アンナ教会コンサート。

  • 2日目 ウィーン観光、レオポルド美術館。ペータース教会コンサート。

  • 3日目 ハンガリー国鉄でブダペストへ移動、ペスト地区観光。

  • 4日目 ブダ地区観光。夕刻、バスでクラクフへ移動

  • 5日目 ヴィエリチカ岩塩坑観光。夕刻クラクフ・ユダヤ人地区ツアー

  • 6日目 アウシュビッツ強制収容所一日ツアー。夕刻クラクフ旧市街観光

  • 7日目 クラクフからプラハへ移動(ポーランド国鉄)

  • 8日目 プラハ観光。クレメンティヌム教会鏡の間コンサート。

  • 9日目 プラハ観光、帰路。

ホテル

一人旅ということもあり、居心地とアクセスのよさを重視して選びました。

  • ウィーン Hotel Konig von Ungarn (https://www.kvu.at/) シュテファン大聖堂のすぐ近くで、接客サービスもとてもよかったです。

  • ブダペスト Hotel Victoria Budapest (https://www.victoria.hu/) 夜景が素晴らしい上層階の角部屋がお勧めです。

  • クラクフ PURO Krakow Stare Miasto (https://purohotel.pl/en/krakow-stare-miasto/) クラクフ中央駅出てすぐにあり、観光に便利。旧市街へは徒歩10分程度。

  • プラハ Hotel Pod Vezi (https://www.podvezi.com/en/) カレル橋の袂にあり、観光に便利。接客サービスも評判通りとてもよかったです。

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