見出し画像

しらいさんちの子育て事情③:「授かれない私達―探し始めた新しい家族のかたち―」

2024/5/31(金):子育て日記③

 今日も覗いて下さってありがとうございます。
 今日も娘が可愛くて…今日のかわいいポイントは「綿棒浣腸をされているときにがんばっている顔と『う~ん』の声」♡
 たまらん可愛いのです!!
 そんな娘の寝顔を見ながら、今日も私たち夫婦のこれまでについて振り返っていきたいと思います。


夫婦の節目と新しい答え


 結婚後、何となく
「あれ?赤ちゃんできないの?」
の不安が頭によぎるようになってきた頃に化学流産を経験し、
「努力しなければ赤ちゃんを迎えられないのかもしれない」
と思い、夫と不妊治療について話し合いをしたことで
「この人と夫婦でいる限り、子どもを望んではいけないのかもしれない」
「私が年を取っているからこの人を父親にしてあげられないのかもしれない(当時34歳くらい)」
などといろんな気持ちが渦巻いていました。
 そしてそんなグルグルの気持ちの中で、「やっぱり!!」と出てきた私の気持ち…それは
「何の努力もせずに生理で泣きたくない、赤ちゃんを諦めることはできない」
というものでした。
 夫のスタンスは変わらず、「私がしたいことはすれば良い。だけど自分自身は妊活で何かをするつもりはない」という感じ。
 それで私だけでも葉酸サプリを飲み、授かった時に備えることにしました。

動かなかった心臓と消えられない自分

 不妊を意識するようになり、葉酸サプリを飲むようになって数年、居を移したタイミングで妊娠が発覚しました。
 二人でクリニックに行き胎嚢を確認できたのですが、8週で心臓が動いていないことが分かり、流産が確定してしまい、ここから夫婦関係のきつい時期を過ごすことになりました。
 染色体異常による、所謂「どうしようもない流産」だったのですが、どうしたって自分を責めてしまい、夫も私に責任があると思っているのでは…と夫の言動を辛い方にばかり受け止めては泣いて夫を責めるようなことを繰り返していました。夫は責めているつもりもないのに私から責められ、塞ぎ込む私への対応に心底困っているようでした。
 今思えば、当時の私はうつ状態だったんだろうと思います。
 「赤ちゃんの心臓は止まってしまったというのに自分の心臓は動き続けている」そのことが辛くて申し訳なくて…いつも消えてしまいたいと思っていた。そして考えてはいけないことですが、コロナが広がり始めたこの頃、自分に感染してこの世を去れないだろうか…なんて漠然と考えていました。
 同時に何事もなかったように普通に生活している元気な夫がとても薄情に見えていました。

考え始めたもう一つの家族のかたち

 流産からのメンタル&夫婦関係ボロボロ期が何とか落ち着いて、当時のことを普通に話せるようになったころ、私から一つの提案をしました。
「特別養子縁組、考えてみる気はない?」
 私の「お母さんになりたい」という夢に「血縁関係」へのこだわりはなく、子どもを育てること自体に憧れを抱いていたので、正直「救える子どもが一人でもいるなら不妊治療よりも養子縁組の方がいいのでは…」という考えがあったのです。
 夫から返ってきた答えは最初
「うちの家は無理やろ」
という実家の反応を想像してのもので、夫自信の考えではありませんでした。
 そこで
「まずは登録研修を一緒に受けて、知ってから判断しませんか?やらないことを決めるには、私達はまだ知らなさすぎる…」
と話をし、夫婦で研修を受けることに決めました。

 最後まで読んでくださってありがとうございました。
 月曜日は特別養子縁組研修と私達夫婦の話について振り返っていきたいと思います。
 良ければ月曜日も、このページにお越しくださいね☺
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?