何に焦点を置いて生きるか、を考える

私はよくポッドキャストを聴いている。
英語学習用もあれば、雑談、お笑い芸人のラジオなど気分に合わせて色々聴いているけれど、最近は英語学習のものをよく聞くようにしている。

あるポッドキャストで、自分が何にフォーカスしたいのかを明確にするために自問自答しようという話があった。
確かに、ベトナムから1年経った今。このままじゃいけないと思っている今。なんだか私は地に足がついていないように感じる。
客観的に見れば、住み込みのアルバイトで生活費を稼ぎながらオンライン日本語教師をしている30代の独身女。ということになるのだが、なんだか本当の自分の人生を歩いていないように思う。
自分の人生なのに借り物の時間を過ごしているような感覚。
何処にも属せず、何処にも定着せず、誰にも期待せず、付かず離れずのこの転々とした生活。

いい年なのに経済的に自立できていないとか、アルバイトの立場とか、他人にうまく説明できない罪悪感、何処となく自分のやっていることに誇りを持てなくて、むしろ惨めに感じているのが正直なところなんだと思う。

惨めに感じるのは自分が他人と比べているからで、自分の気分次第なのはわかっているのだけれど、今正直にそう感じているのだから仕方ない。
天気のせいなのか、寒さのせいなのか気分が晴れずにモヤモヤが最近蓄積してきている。
一体いつになればこの問題が解決できるのか。どうしたら安定できるのか。
わからないけれど、問いを続けること、自分の人生から逃げずに歩むことくらいしか私にはわからない。

そこでポッドキャストの話題に戻る。
今の自分は何にフォーカスしたいのかということ。
今の私は・・自分のキャリア。ノースキルな底辺キャリアだけどもうそれは置いておいて、これから生きていく上で何をして生きていくか。何を磨くか。何ができるのか。
日本以外に選択肢があるとするならばどんな国、どんな土地、どんな部屋で生活したいか。
自分がやりたいことを実現するために具体的な行動をとること。

まずはここをクリアにしたい。

またどんなことに自分はエネルギーを消耗するか、喜びを感じるのか。
それを意識するだけでも大きな違いが生まれるそうだ。
確かに私たちは普段の生活が忙しすぎてそんなことを考える暇もないくらい毎日が過ぎていく。

自分にとって消耗を感じる瞬間。
前の会社でのパワハラを引きずっているんだと思うけど、人に責められた時。大勢の前で話す環境、日本式の接客をしているとき。
誰でもそうだと思うけど、居心地悪い人と共有する空間はエネルギーを消耗する。多分私は人の倍つかれてしまう。

しかし同じ対人でも大切な友達と話したり、レッスンで生徒さんと楽しい時間を共有できたときはこの上なく喜びを感じる。
あとは英語やプロレスなど自分の好きなことをしているとき、知らない土地に行ったとき、良い音楽を聴いたとき、美味しいものを食べているときに喜びを感じる。

もっと好き、と感じる瞬間を大事にしたいし、忘れないようにこのnoteに週1書き留めていこうと思う。


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