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「あなたのためを思って」は誰のため?不安の押し売りにご用心

日本型組織にいて何か新しいことをしようとすると、どこからともなく「ネガティブチェックの達人」たちが押し寄せてきて続々と懸念点指摘選手権をはじめる、という光景に出逢います。(※以前は行政組織ならではと思ってたのですが、民間でも結構あるようなので、日本型組織と書いておきます。)

あれまぁとその謎のエネルギーに面食らっていると、「これはあなたのためを思って言っているんだよ」という押し付けがましいエクスキューズまで頂戴する始末です。

一方でちゃんとしたリスクマネジメントとしてのネガティブチェックも、もちろん存在します。そういった有益なものと、一方で不安の押し売りみたいなものがありますが、どのように区別したらよいでしょうか。


リスクや打ち手への解像度は高いか?

話を聞くべき相手が「やめておけ」という場合には、その内容の解像度が高いです。何がどうなってリスクとなるのか、またそれにどう対応すると何が起こるのか。そのあたりがハッキリしています。

こういったネガティブチェックは金言であり、無視して進めると痛い目に遭う可能性が高いです。気持ちが盛り上がっているとつい不都合な声は無視したくなりますが、解像度が高い助言は耳の痛いものも含めてしっかり聞いた方がよいですね。

一方、解像度の低いネガティブチェックには要注意です。だいたい、「私はそのことを知らない、分かるように説明してみろ」という謎の上から目線エクスキューズから話が始まります。要はそもそもその分野のことを知らないのであって、何をもって評価するのでしょうか?説明者の口が上手ければ、ザルですよね?そのことについてどう考えてるの?(激詰めモード)

もちろん"素人"の目線だからこそのクリーンヒット、みたいなものがないわけではありません。また基礎的な部分がちゃんと自分で考えられているかどうか、チェックする意味では使いようもあるかもしれません。

でもまぁ、上から目線で手間だけかかるザルチェックは困りますよね。

本当はあなたに興味がないかもしれない

「あなたのため」という言葉は恐ろしいもので、その枕詞があれば自身の思惑を相手に押し付けることを正当化できてしまうのです。

本当に相手のためを思っているなら、言葉と感情がしっかり自己一致しているなら、遠慮なく「あなたのため」と言えばよいと思います。しかし、自己一致していなければ、だいたい表情やしぐさの微妙な揺れ(ダブルシグナル)が出て言われた相手に無意識的な違和感を残します。

自己一致せずに「あなのため」という言葉が出る時は、背景に(無意識的にも)何らかの思惑が乗っかっている可能性があります。私がよく思われたい。私の価値観を尊重したい。本当は利害があって私のためにそうして欲しくない。或いは、私の不安な気持ちが溢れて止まらない。

そして何よりも恐ろしいのは、こういった場合には、シュババとやってきた人のその"ご高説"を賜ろうが賜るまいが、責任を共有するつもりはもちろんのこと、実務的な協力は最初からする気がないケースすら多いのです。時間と感情の収奪的コミュニケーション、と言ってもよいかもしれません。

日本社会を蝕む不安感情の連鎖

もちろん思惑は単一のものではなく、色々なものが様々な度合いで入り乱れているのが普通でしょう。

そのうえで、中でも、過度な不安感情は本当に日本社会に広く蔓延る病原だなと感じます。「リスクがあるから」の一言で解像度が低いまま多くのことが先送りにされていきます。

高齢者が増え社会全体がコンサバティブになっていくことは百歩譲ってやむを得ないとしても、意外と中堅世代までも上を見習ってか同じような行動を取っていることが気になります。

コロナ明けに結構海外に行く機会があり、改めておおよそのことについては日本がいかに素晴らしい社会システムを構築しているか、ということを実感しました。でも、このあたりがもたらす社会文化的な閉塞感だけは、圧倒的に残念ですね。

不安があるのは当然、受容し影響力を自覚することが大事

もちろん、不安だけでなく感情があること自体が問題なのではありません。そもそも無くそうと思ってなくなるものではありません。

そういった感情に取り憑かれてしまい不本意なときには、まずその自分の感情を自分でしっかり受容することが大切です。そしてそれが自分にどんな影響を及ぼしているのかを感じ取ること。

そのうえで、何をすべきかを考えれば押し売りはせずにいられるかもしれません。


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